いつもどれくらいやるべきか迷うこと。
最初は全体はバラバラである。
荒々しいところはそうだし、
丁寧に書かれたところはそうなっている。
それの濃度を整えて、
全体的に統一性の高いものに仕上げることは、
「それが一つの作品である」
というアイデンティティを保つ。
荒いところは丁寧にして、
丁寧すぎるところはちょっとはしょったりして。
だけどそれをやりすぎると、
「どこを切っても同じ味」しかしなくなる。
もちろん、展開や焦点は異なるんだけど、
それ違いでしかない、
同じものを見続けている錯覚になる。
同じ淡々としたペース、
同じ感じのリアクション。
手を入れれば入れるほど、
全体が均されて、
おんなじ感じになってしまう。
それでよい、
という一つの見方もある。
一人のシェフの感覚に貫かれた、
徹底した品質管理、という考え方もある。
僕はちょっと違ってて、
あえてバラしたい。
文脈に応じた楽しみを与えたいと考えている。
いわば、
多少暴れながら行くほうが楽しいのではと。
キメの細かいとろりとしたスープになるまで、
裏ごしを続けるか。
何色団子かの、色合いだけ違うところが完成か。
食感も密度もバラバラだが、
全体として見た場合の良さを取るか。
手を入れすぎて素材が死ぬなら、
アンドゥして前の版から仕上げ直したほうが良いくらいだ。
こうした、「全体のきめ細やかさの揃い方」は、
すべてあなたの作風である。
好きなようにしなさい。
あるいは、作品の質によって決めなさい。
昔は髪の毛一本揃えてた方が好きだったけど、
今は歯応えが違う密度違いをわざと入れるようになったかなあ。
そうしたものこそ、作風よね。
2023年12月04日
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