2023年12月04日

全体の濃度を整える

いつもどれくらいやるべきか迷うこと。


最初は全体はバラバラである。
荒々しいところはそうだし、
丁寧に書かれたところはそうなっている。

それの濃度を整えて、
全体的に統一性の高いものに仕上げることは、
「それが一つの作品である」
というアイデンティティを保つ。

荒いところは丁寧にして、
丁寧すぎるところはちょっとはしょったりして。

だけどそれをやりすぎると、
「どこを切っても同じ味」しかしなくなる。

もちろん、展開や焦点は異なるんだけど、
それ違いでしかない、
同じものを見続けている錯覚になる。

同じ淡々としたペース、
同じ感じのリアクション。

手を入れれば入れるほど、
全体が均されて、
おんなじ感じになってしまう。


それでよい、
という一つの見方もある。
一人のシェフの感覚に貫かれた、
徹底した品質管理、という考え方もある。

僕はちょっと違ってて、
あえてバラしたい。

文脈に応じた楽しみを与えたいと考えている。

いわば、
多少暴れながら行くほうが楽しいのではと。


キメの細かいとろりとしたスープになるまで、
裏ごしを続けるか。

何色団子かの、色合いだけ違うところが完成か。

食感も密度もバラバラだが、
全体として見た場合の良さを取るか。


手を入れすぎて素材が死ぬなら、
アンドゥして前の版から仕上げ直したほうが良いくらいだ。



こうした、「全体のきめ細やかさの揃い方」は、
すべてあなたの作風である。
好きなようにしなさい。
あるいは、作品の質によって決めなさい。

昔は髪の毛一本揃えてた方が好きだったけど、
今は歯応えが違う密度違いをわざと入れるようになったかなあ。

そうしたものこそ、作風よね。
posted by おおおかとしひこ at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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