なんでストーリーが浮かぶのか、
その原理的なところはよく分かってないよね。
結局、思いついたから、書くわけだよね。
それってほとんど「無意識が書く」と言っても、
過言ではないかもしれないね。
たとえば、
「言いたいこと」というのは、
どこから出てくるのだろう?
意識から出てくるかな?
たぶんこれまで思ったことが蓄積されてて、
まだ言葉になってない渦みたいなのがあって、
それが言葉を持った時に、
言いたいことが出てくるのではないだろうか。
それって、無意識の領域から出てきたといえるよね。
我々に自由意志があるか?
という問いはまだ答えが出ていない。
脳科学の知見では、
脳内に電気信号が走り、
そのあとにようやく「思いついた」と、
言語化がはじまるそうだ。
大脳の監視意識は、
すでに無意識レベルの脳内信号が出している結論を、
さも今思いついたかのように扱うらしい。
私たちは、
自分の意思で言いたいことを今言っている、
ように自覚しているが、
そもそもそれは無意識下で別の考えが決まってから、
ようやく言語として大脳皮質が認識したにすぎないかもね。
まあ、構造はどうでもいい。
我々は、
「次に言いたいこと」を制御できない。
だから、無意識なのだ。
僕はこのように文章を書いているが、
たぶん無数の無意識が波打ち際で囁き、
その中で、
前の文と繋がりがあり、
しかも全体の論に適合するものを選んで、
無意識から意識的にたどって、
これを書いているはずだ。
単に無意識をランダムに拾っていったら、
きちがいの妄言になると思う。
つまり、
思いつき、次に言いたいことは無意識だが、
それを統御するのは意識、ということを言おうとしている。
「思ったことを言う」ということですらこうだ。
「物語を書く」という、
あの衝動はどこからやって来るのだろう?
そして、
あの展開のアイデアはどこから?
なぜ、次にどのキャラがどう言うかわかるのだろう?
僕は、
すべては無意識からやって来るのだと考えている。
そもそもの芯になるアイデアや、
あらゆるディテールや、
Aでないときの別アイデアとしてBを思いつくことや、
ラストシーンの、まるでこの一言のためだけに全てがあったかのような、
最後の一行のセリフは、
すべて無意識が書くことのような気がしている。
それを支離滅裂な白昼夢に終わらせないのは、
それを書き留める側の、
理性による統御だと考える。
たくさんの無意識が、
同時にあれやこれやとわっと言うけれど、
前のに繋がり、次に繋がるものを、
理性が選んで繋げている、
ような気がする。
だから、物語というのは、
複数の人格で書いてる感覚があるんだよね。
リーダーである書き手と、
好き勝手に妄想するたくさんの無意識たちと。
物語を書く才能とは、
つまるところ、
この無意識たちが毎回豊かに暴れてくれるかと、
統御人格が捌いて最後まで理性を保てるかの、
2方向の制御だと思うんだよね。
「書きたいから書いた」なんて、
支離滅裂で詰まらないパートを放置してるのは、
無意識を制御するだけの統御人格が弱い証拠だし、
理屈ばっかこねて感情が震えない、
詰まらないストーリーは、
無意識の奔放が少ないんだよ。
去年から一年かけて書いてきた小説がある。
(すでに某賞に応募した)
毎日毎日無意識がやかましかった。
あらゆる提案を許すとぐちゃぐちゃになる。
最後らへんは、
どんな無意識の提案も、
すでに出来上がった、無意識と意識の練り上げたものに、
負け始めた。
ああ、これはそろそろ完成が近いんだな、
と思った次第。
無意識が暴れる。
理性が紡ぐ。
無意識が理性の紡ぎの外に出なくなり、
すべてが収まったときが、
「ものを書き終えた」ことではないかと思う。
この理性のこの枠組みでは、
これが最上だと、無意識が納得したのだろう。
さて、
次の暴れをやるかね、と、無意識はいつも元気だ。
私たちはなぜ、どうやって物語を書くのだろう?
誰もちゃんと書いてないし、
よく分かってない。
僕は、無意識が書くのだと思っている。
トランス状態に入らないと書けないからねえ。
プロってのは、構えて二秒でトランスに入れる人のことさ。
あるいは、トランスと日常が、
なだらかに繋がってる人のことをいう。
この一年に書いたやつはとても疲れた。
まだ無意識はやりたがってるが、
リーダーの方が疲労しまくっている。
たぶん、リーダーは理論や理屈で鍛えられる。
無意識は、精神状態で変わってきそうな気がする。
2023年12月05日
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