2023年12月11日

セリフはどうやったらうまくなるか

セリフが下手な人は多い。
セリフは才能ともいわれるし、
数をかけばうまくなるともいわれる。
どうやったらうまくなるだろう。


いろいろあると思うが、
僕は、
「セリフは嘘をつく」ということを学ぶべきだと思う。
逆を言うと、
「人は、思った通りのことを口にしない」
ということだ。

子供じゃないんだから、
思った通りのことしか言わないとか、
思ってもないことを言わないとか、
そんなことはないはずである。

たとえば、社会人になって、
「申し訳ありませんでした」と言うとき、
心底悪いな、と思っている人はそんなにはいないだろう。
内心舌を出しながら謝っている人だっている。
「言葉どおりのことを本心で思っているとは限らない」
だ。

単純に、母親から「今晩何がいい?」
と言われているシチュエーションだって、
何かメニューを言っているときに、
「めんどくせえな、なんでもいいよ」と思っているときと、
「とてもそれが食べたいです」と思っているときの、
「ラーメン」は違うものである。

それは、これまでの文脈が決める。
もう母親がうざい年齢になり、
考えるのも面倒なとき、
という文脈での「ラーメン」と、
好物をどうしても食べたいときにいう、
「ラーメン」は、
異なるニュアンスの芝居になるだろう。
それは、そのセリフで言う意味が異なるからだね。

こうした、
「同じセリフなのだが、まったく違う意図で言っている」
というセリフを書けるようになろう。
「愛してます」という代わりに「大嫌い」と表現できるだろうか。
「愛してます」というセリフで、愛してもいないことを表現できるだろうか。

セリフは文字通りの情報伝達以上の力がある。
それを、たかが文字面通りの情報伝達しかしていないから、
下手なのだ。
倍鳴る楽器を、半分しか使ってないわけだからね。

むしろ、映画の中で、
「文字が示している意味を、そのまま受け取る」
セリフなんて、半分以下しかないんじゃない?
文字通りの情報伝達(たとえば、「締め切りは3日後です」とか)
以外は、
すべて、
「言外のニュアンスも同時に伝える」をやっているのではないだろうか。
(統計を測ったわけではないので肌感)


CMとかで、何かを食べたり飲んだときに、
「うまい!」とかいうのは、
だから下手のセリフの代表である。

何かの商品を使って、
「これ便利!」とか、「これいいかも!」
なんていうのも下手のセリフの代表である。

ビールを「苦い」とセリフを言いながら、
めちゃくちゃうまそうに飲むとかも出来るよね。
「あー、苦い!」と嬉しそうに飲めば、
苦さだけじゃない何かがあることが表現できるのに、
誰もそれをやっていないのは、
セリフが下手なやつらばかりなのだろう。


つまり、
人の表情やしぐさとセリフは、
一体のものである。
それらが斉一に揃っている必要はない。

もっと人間というのは複雑で複合的な生き物だ。
それらを一致させること自体、
まず表現者として稚拙だということだ。

人は面接ですら嘘をつくんだぞ。
なんで架空の物語のセリフで100%真実ばかり話す必要があるんだ?
それはリアリティがなさすぎるよね。


あともうひとつ。
全然違う価値観が話すことを書けるか?
ということだね。

共産主義者と資本主義者が会話するのでもいいし、
東京人と大阪人が会話するのでもいいし、
アイドル好きとラーメン好きが会話するのでもいい。
まったく違う価値観やリズムや人生観を持っている人同士の会話が書けるかどうかが、
セリフがうまいかどうかにかかってくる。

つまり、
「その人がデフォルトで考えていること/考え方の癖」を、
複数頭の中に思い浮かべられるか?
ということだ。
そのうえで、
対立させたり、和解させたりできるか?ということだ。

これはかなり高度な脳内シミュレーションだと思う。
しかもこれ、
二人じゃなくて、三人、四人、五人くらいできる?
ということ。
バンドが音楽性について対立している場面なんて、
まったく違う価値観の衝突だよね。

セリフが下手な人って、
全員を同じ価値観で書いてしまうんだよな。
自分が五人いる、みたいな書き方。
そうじゃなくて、
他人と他人のぶつかり合いだ、
ということを忘れていると思う。

ラブストーリーが下手な人は、
たぶんここができていない。
自分と自分の恋愛しか書けていない。

もっとひどいのは、
自分とビッグマザー(ビッグファーザー)の関係性しか書けていないだろうね。
相手は他人である。
主人公も他人である。
作者は主人公でも相手でもない。
つまり、最低3人いるわけだ。

で、最初の「セリフは真実とは限らない」を、
組み合わせると、
複数の人間の、
複数の文字面通りの意味と、隠された意図があって、
つまり、n人の会話劇では、
2nの思惑があるということだ。
それらをどうさばくか?
どうおもしろくうねらせるか?
が、セリフが書ける、ということ。

普段から、
人がどういう会話をしているかを観察すればわかる。
文字通りのことを話していないし、
会話しながら別のことを考えているし。

使っている言葉がリアルに越したことはないが、
リアルすぎるとノイズの混入が多いから、
適度にフィルタで濾したほうがいいとは思う。
しかし、
セリフがうまい人というのは、
そうしたリアリティもうまく取り込む。

でも別に教科書的な言葉遣いでもいいんだよ。
言っていることと思っていることが違ったり、
複数の価値観がぎすぎすしているさまが描けてれば、
翻訳調のセリフだとしても、
リアルを感じて、おもしろくなると思うよ。


セリフが下手といわれるのは、
「そのセリフを聞いててもおもしろくない」と言われている、
ということだ。
「そのセリフを聞いてておもしろい」ならば、
文章がへたくそでも構わないんだぜ。

セリフ上手なシナリオは、
とくにストーリーが進展しなくても、
会話しているだけで魅力的だったりするよね。
それは、何も進展しないが、ただ時間を潰すことが面白い、
バラエティやキャバクラでの会話に似ているかもしれないね。
そういうセリフを書き写すだけでも勉強になると思う。


セリフが下手な人はつまり、
「自分の思うことを100%伝えればセリフになる、相手がどう思おうとも」
と無意識に考えている、ということだと思うんだな。
posted by おおおかとしひこ at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック