2023年10月12日

自分を反映させた物語など二流

Twitterから。
> よく「作者の人格と作品は別」というが、
> 絵を描くだけ・演奏するだけに終始してるようなクリエイターはともかく、
> 物語書いたり脚本練ったり歌詞作ったりしてる場合
> クリエイターの人格と作品は密接不可分だろと思う。

自分と分離させてない物語作者が多いのかねえ。
そんなん二流よね。


僕は主人公と作者は分離せよ、
別人を描け、と常に警告している。
メアリースーに飲み込まれ、
しょうもなくなるからだ。

だから、
そもそも自分の知らない世界を取材して、
自分と違う主人公を創作して、
その人に、
「全く知らない自分でも感情移入できるように」
エピソードを作っていくべきだと考えている。

にも関わらず、
作者と登場人物を同一視する誤解が絶えないのは、
うまく書けてて、
まるで作者の言動のように錯覚するからだろう。


物語をなぜ語りたいか?

それは恵まれた自分の自慢でもなく、
恵まれていない自分の自虐でもない。

多くの作者は恵まれていない。
だから、
物語とは、
「恵まれていない作者が、
こうだったらいいのに、
という理想の世界を描く」ものなのだ。

だから、
多くの恵まれていない他の人が、
共感して、入り込めるんだよ。


誰にも好かれる人気者が「俺の話をするね」
というのはドキュメンタリーであって、
フィクションではない。

フィクションというのは、
「この世にない世界」の、
「この世にいない人間」の、
「この世にない事件の解決」のことである。

実在しない、
「こうであったらいいのに」
という人物や、人間関係や、
哲学を描くのだ。

だから、
恵まれていない作者の、
理想の投影なんだよね。

だから、
作者は、その理想の物語とは、
ずいぶん遠い、酷い人格で、酷い生活をしてるんだよ。

むしろその差が大きいほうが、
立派な夢想家というものだ。



同一視して憧れるのは勝手だけど、
むしろ真逆だと知っておくべきだよね。

作品が貶められて傷つくのは、
作者の人格が否定されたからじゃないんだ。
作者の理想が否定されて傷つくのさ。
posted by おおおかとしひこ at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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