が面白かったので。
藤井八冠が勝ちを得た試合。
24手詰めを読み切ってその初手を間違えた、
長瀬九段がそれに気づいたときの、
反応や所作が、映画みたいだった、
と評されている。
http://blog.esuteru.com/archives/10114970.html?ref=category71602_article_footer1_slider_&id=3959021
じゃあ、完成度の高い映画とは、
どうあるべきか?が、逆算で見えてくるよね。
めったにない大事件であること。
勝ち負けのリスクリターンが大きく、危険が大きいこと。(大勝負)
人間を辞めなければならない、というほどの難易度。
そこに人間的な反応が、リアルにあること。
逆に、
これがなければ、完成度の低い映画だということだ。
そのへんにある事件。
リスクリターンは小さく、失うものは特にない。
小さな勝負であり、日常に影響はない。
人間的な反応がなく、段取りっぽい。
たったこれだけだ。
だけど、大事件でリアルな人間、
というのをつくることが、
どれだけ難しいかは、
書いている人間が一番わかっていることだと思っている。
リアルが欲しい人々は、
この「大事件や極限状態での人間のリアル」が欲しいだけで、
「何も起こらない詰らない日常というリアル」が欲しいわけじゃないんだよね。
それをうまく注文できていないだけだ。
下手な作者が、
「はい、日常というリアルを書きました。リアルでしょ?」
というものを見たって、何も心が動かないんだよな。
心が動くのは、
「極限状態でのリアリティ」なんだよなあ。
それがうまくできていれば、
完成度の高い映画になると思うんだよね。
2023年10月13日
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