2023年10月13日

「完成度の高い映画を見ているようであった」という感想

が面白かったので。


藤井八冠が勝ちを得た試合。
24手詰めを読み切ってその初手を間違えた、
長瀬九段がそれに気づいたときの、
反応や所作が、映画みたいだった、
と評されている。
http://blog.esuteru.com/archives/10114970.html?ref=category71602_article_footer1_slider_&id=3959021

じゃあ、完成度の高い映画とは、
どうあるべきか?が、逆算で見えてくるよね。


めったにない大事件であること。
勝ち負けのリスクリターンが大きく、危険が大きいこと。(大勝負)
人間を辞めなければならない、というほどの難易度。
そこに人間的な反応が、リアルにあること。

逆に、
これがなければ、完成度の低い映画だということだ。

そのへんにある事件。
リスクリターンは小さく、失うものは特にない。
小さな勝負であり、日常に影響はない。
人間的な反応がなく、段取りっぽい。


たったこれだけだ。

だけど、大事件でリアルな人間、
というのをつくることが、
どれだけ難しいかは、
書いている人間が一番わかっていることだと思っている。


リアルが欲しい人々は、
この「大事件や極限状態での人間のリアル」が欲しいだけで、
「何も起こらない詰らない日常というリアル」が欲しいわけじゃないんだよね。
それをうまく注文できていないだけだ。

下手な作者が、
「はい、日常というリアルを書きました。リアルでしょ?」
というものを見たって、何も心が動かないんだよな。
心が動くのは、
「極限状態でのリアリティ」なんだよなあ。

それがうまくできていれば、
完成度の高い映画になると思うんだよね。
posted by おおおかとしひこ at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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