2023年12月21日

もう少し葛藤を見たい

なんて何かの感想を見かけた。

これを鵜呑みにすると、
「……」と悩むシーンを増やしてしまう間違いを犯すかもね。
そうじゃない。どうすればいいか。


葛藤というのは、心の中で起こっている、
迷いとか、ためらいなどだ。
ややこしい状況に直面して、
色々な要素で迷い、ストレートな決断を起こせず、
「色々な問題はあるが、これで責任を取る」
という何かを捨てて何かをとることを、
決める、難しい判断をして次へ進むことになるだろう。

「それが欲しい」と言っている、
ということに気づくべきだ。

「葛藤が欲しい」を字面通りに解釈してしまうと、
窓辺で「ウームどうしよう……こうしたらこうなり、
ああしたらこうなってしまう……」
と悩むシーンを2つ3つ追加する、
ということになりかねない。
さすがに阿呆ではないから、
それをすることはないだろうが、
でもじゃあどうすれば?ってことだ。

こういう感想が出てくるということは、
状況が単純すぎて、観客が自分のことと考えて、
こうしたらどうか、いやああしたらこうなるぞ、
なんて「考えて楽しむ」隙間がない、
ということである。

こういう状況、こういう行動、こういう結果、
と何も考えずに話が進んでしまい、
まるでロボットのように人物がなっていて、
人間的な隙間がないぞ、
という指摘だと思われる。

つまり葛藤は観客の中にある。
増やしたいのは観客の中での心配のあれこれだ。


だから、
第一義的には、状況を複雑化して、
観客も選択肢に悩み、人物もどっちをとるべきか、
悩む状況を沢山作り出すことだ。
任意のところで、
急に終わって「次週に続く!」ってなったときに、
「主人公はAを取るのか? Bを取るのか?」
で話題になるようになったほうがいい、
ということである。
それが「A一択でしょ」だと、
楽しみにできないよね。


事態を複雑化させ、
容易に先を読めないようにすることは、
脚本的には、「コンプレックス化」という。
コンプレックスポイントといって、
「事態が余計に複雑になることが判明する」
というポイントをつくってもいいくらいだ。
二人のラブストーリーだと思われたものが、
ライバルが出現して、三角関係になったり、
さらにもう一人出てきて、四角関係になったりすることは、
コンプレックスの一例だ。

「家業を継ぐために会社を辞めて東京から引き払うのか、
それとも東京にとどまって踏ん張るのか」
という二択の状況に、
「恋人と結婚した場合、彼女の仕事はどうするのか」
という複雑な選択肢を加えると、
葛藤が大きくなるよね。
話し合わないと決着がつかないことだから、
その話し合いのシーンは、
とても劇的になるだろうね。
むしろ、劇的にしないと観客が物足りなくなるだろうね。
迷い、ためらい、感情が励起する部分になるだろうからね。
喧嘩するかもしれないし、仲直りするかもしれない。
そういう複雑な感情の襞を、
観客は期待するわけだ。

そういうものが足りないと、
「葛藤が足りない」ということだ。
つまり、「葛藤が足りない」のは、
「俺たち観客にも迷わせろ」なのである。

主人公が「……」と言っている場面の話ではなくて、
観客の心の中の複雑さについて、
言っているわけだ。

そう思うと、
このクレーム、批判の正体がわかりやすいのではないだろうか。


料理で「塩が足りない」ならば、
塩を足せばよくなる。
しかし、実は胡椒をかけたほうが良くなったり、
焼きが足りないのかもしれないわけだ。
批判やクレームは、
正しく批判しているとは限らず、
その人の中で思うことをその人の言葉でしか表現していないことに思い至ることだね。

批判を解釈するにも、
実力がいるということだ。
字面に振り回されている人は、
クレームに弱い人だろう。
だから無難なものをつくって、クレーム自体を避けたくなる。

それはつまり何もつくっていないということだ。
無視は熱狂以下の扱いである。
posted by おおおかとしひこ at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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