「世界の中心で、愛を叫ぶ」の例を見たので。
当初は、同じ内容で、
「恋するソクラテス」だったそうだ。
恋をすると誰もが哲学者になる、
という意味を込めたもの。
じゃあソクラテスじゃなくてハイデガーでもニーチェでもいいんじゃないかと思うが、
まあそこはどうでもよい。
でも内容はソクラテス関係ないはずで、
だったらあまり意味がないタイトルだと思う。
それが、女性誌出身編集者のアイデアで、
「目立つタイトル」「目を引くタイトル」
に変更することになったらしい。
それが「世界の中心で、愛を叫ぶ」だ。
キャッチーで現代的なタイトルだったと、
記憶している。
当時文章になっているタイプのタイトルは珍しく、
新しかったと思う。
新しい文学、新しいラブストーリーに見えたもの。
(詳しい経緯は、
https://www.yomiuri.co.jp/national/20231014-OYT1T50183/
)
タイトルはどうあるべきか。
僕は入り口だと思っている。
門であると。
その門から入りたくなければ、
そこから中には入ってこない。
誰にでも開かれた、魅力がある門になるべきだと思う。
「その本質を語っているタイトル」であるかどうかは、
入口に立っているときはそんなに関係ない。
「面白そうか/面白そうじゃないか」が一番関係ある。
もちろん、
最後まで見終えたときに、
「なるほど、本質を語っていたな」にならないと、
タイトル詐欺になってしまうよね。
だから、
本質を示しつつ、
タイトルは入り口として魅力的にならなければならない。
つまり、いつも言っている、
ガワ(門の魅力)と、中身(テーマやお楽しみポイント)の、
両方がタイトルで揃っていなければ、
タイトルとして失格だ。
一般的な傾向として、
作者は本質寄りのタイトルをつけたがる。
編集者(ないしプロデューサー)は、
入口の魅力的なタイトルをつけたがる。
内容を最後まで分かっている人と、
知らない人向けに商売しようとする人の、
立場の違いだ。
少なくとも、
「恋するソクラテス」だと微妙で、
「世界の中心で、愛を叫ぶ」ならば、
ちょっと読んでみようか、
になると思うよ。
原作は僕も未読だが、オーストラリアのエアーズロックに行く、
という意味では、世界の中心という伏線を回収しているとは思う。
少なくとも、「これが『世界の中心で愛を叫ぶ』シーンかー」
というのを確認したくなるからね。
「恋するソクラテス」だと、
ソクラテスが恋をするのかー、
別に興味ないしなあ、まさか古代ギリシャだから、
男色の話かしら。それも興味ないしなあ。
で終わってしまうと思う。
このタイトルから得られる情報量だけがすべてだからね。
他方、
「世界の中心で、愛を叫ぶ」ならば、
世界の中心とはどこだろう。
具体的な場所(エアーズロック)なのか、
それとも君がいる場所が世界の中心だ、なのか、
などの想像が膨らむよね。
叫ぶのだって、
物理的に叫ばなくても、
心の底から悲痛な叫びがあれば、叫ぶことになるし。
いずれにしても、
強烈な情動を感じる。
この「動き」が大事なのだ。
「恋するソクラテス」は、
動いていない。静止した状態だ。
だから興味が湧かないんだよね。
本質の抽出をやろうとして、
記憶、それも静的な記憶から、
静的な本質を抽出してしまった、
これは悪い例だと思う。
点に人は興味が湧かない。
線だと、「どうなるんだろう?」と、興味が湧く。
「世界の中心で、愛を叫ぶ」だと、
何かいろいろ事情があって、
世界の中心で愛を叫ぶことになるんだろうなあ、
という線を想像することができる。
じゃあ、「それまでを確認したい」と、興味が湧くわけだね。
この編集者はなかなか優秀だ。
人が何に興味があるか、よく知っている。
静止した山には興味がない。
山が煙を吹き始めたり、爆発することに、人は興味を抱くのだ。
それは、静止して固定した日常を離れて、
動きがあり、静止から外れた非日常を、
体験したい、という思いが、
フィクションを求める心の根底にある、
ということを知っているからだと思う。
タイトルをつけるときに、
本質をうまく表現したい、
という気持ちはよくわかる。
しかし、
それを皿の上にごろんと置いて、
食べたいか?ということだ。
静止して、死んだ何かに、興味は湧かない。
動き始めて、何かありそうなものに、人は興味が湧く。
自分に見向きもしない女には興味がないが、
自分の冗談に笑ってくれて、会話が続く、
線をつくれそうな女に、興味が湧くよね。
そういうことだ。
ヒットした作品の、
以前のタイトルとの比較ってどこかにあるかな。
商売を考えるうえで、
とても参考になると思うんだがなあ。
2023年10月16日
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