時々こういう気分になるのは、作者として当然のことだろう。
生半でないものを書いているときに、
そういう自負があるわけで、
全員がそれを理解できないとしても、
本当に分る奴だけが分ってくれればいい、
と思うことはよくあることだ。
さて、この気持ちの逆はなんだろう?
僕は二つあると思っていて、
「全員が分るようなものにするべき」というものと、
「分らない奴を置いてけぼりにしない」だと思う。
前者の場合は、
鋭く尖った、素晴らしいものを、
ある程度丸くして、多くの人に受け入れられるものに、
下方向に改変することだ。
だけどその辺にない、鋭く尖ったものであればあるほど、
それは「妥協」という、
一番やりたくないものになってしまう。
せっかく100メートル飛んだのに、
70にレベルを下げてくれ、50に、30に、
という要求だからね。
大学数学レベルの発見を、
小学生にもわかりやすく説明することは出来ないだろう。
だから、本質を語るのではなく、
なんとなく雰囲気だけになってしまい、
せっかくレベルの高いことをやっている(自負)のに、
それを台無しにしないといけない、
後ろ向きの気持ちになるのは、
作者として不満が残る。
だから僕は、
全体のレベルを下げるのではない、
別の方法論でやるべきだと考えている。
つまり、
「分る奴は分る」かつ、
「分らなかった奴も別の方法で楽しめる」
という、さらにレベルを上げることでだ。
そんな難しいことが出来るかな?
ミュージカルは、一つの方法だね。
歌詞内容に感情移入せずに、
そんなによく読まなくても、
歌や踊りの雰囲気だけ楽しめば、
それなりに楽しめるよね。
宝塚なんてもっと極端で、
歌劇のあとにレビュウという、
ただの歌と踊りのショーすら用意している、
用意周到さだ。
もちろん、歌劇の内容を精査しているだろうが、
それ以外にもショウを用意するという、
「分らなかった人もこれで楽しんでね」
という二重三重の仕掛けをしていることは、
僕は大変頭がいいと思っている。
ドラマが分らなくてもアクションだけ楽しめばヨシとか、
ドラマが分らなくてもエロだけ楽しめばヨシとか、
色々なやり方があるだろう。
ドラマはきちんと背景が分る人だけでいいよ、
という割り切りで、
一色団子じゃなくて、三食団子にしようぜ、
ということなんだよ。
それが出来ないならば、全体のレベルを下げて、
食いやすい定食にしてあげることも、
シェフの判断だと思う。
世の中のプロデューサーは、
「二つのやり方があると思う。どっちがいいと思う?」
と脚本家に選択肢を出せるほど、
きちんと分っているとは思えない。
もちろん、分っている人はそういう誘導も出来るだろう。
だけどたいていのプロデューサーは、
分る奴しか分らない難しい場面に出くわすと、
「分りやすく」と、レベルを下げることを要求するんだよね。
たぶん「僕はバカなのでわかりませんでした」
と正直に言えない。
それは、作品に誠実に向き合ってないともいえる。
自分の方を可愛いと思ってるわけだ。
だから脚本家とプロデューサーは相いれなくなってしまう。
それは双方にとって不幸だ。
どっちが歩み寄るか、という妥協合戦になってしまう。
で、権力が強いプロデューサーが勝つに決まっているから、
つまり脚本家は「言うことを聞かされ、妥協してレベルを下げさせられた」
という恨みや痛みしか残らないことになってしまう。
これはよろしくない。
プロデューサーが「分りにくい」と感じることまでは良い。
だが方法論を一つしかもっていないことは、
行き止まりに行くしかないということ。
別の方法論を考え出さないと、
誰も幸せにならない。
もちろん、
脚本家が到達した、鋭くて素晴らしい領域が、
自己満足な部分の可能性はある。
しかしそれが作品のモチベーションであるならば、
それを削るよりも、
それを生かす、別の見せ場を新しく考え出したほうが、
建設的だと思うんだよ。
そんな風に脚本打ち合わせをさばけるプロデューサーには、
僕は会ったことがない。
「レベルを下げるように」という輩が9割、
「ただレベルを下げてもつまらなくなるだけだから、
なんかいい方法はないか、ちなみに俺は思いつかない」
とぶっちゃけて味方になってくれる人が1割、
ってところかな。
最近1割もいないか。
プロデューサーは、世間の目を一番フラットに見ている。
「これはバカには分らない」ことも、
冷静に見ている。
だからバカにも分るようにレベルを下げるのか、
だからバカでも楽しめるパートを別につくるのか、
ということだと思うんだよね。
前者しか方法論がないならば、
不幸な脚本にしかならない。
一本道の話は、
こういうときに辛くなる。
複数のドラマが走る、
サブプロットが豊かなものだとうまくいく。
つまり、
サブプロットを増やすことを考えるべきなんだ。
あるいは、
転換できるサブプロットはあるか?
という問いが、
正しい改定への指針になるんだよ。
「分りやすくレベルを下げてくれ」という馬鹿なプロデューサーは、
ほんとにそれを望んでいるのか、
こちらが別の方法論を提示して、
観測気球を上げない限り分らない。
つまり、こちらが別解を先につくれないと、
この問題は突破できない。
脚本作りは、だから難しい。
2023年12月27日
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