アイデンティティというのは、
結構ふらふらしているものだ。
昨日の感情と今日の感情は同じじゃないし、
昨日はいいと思っていたアイデアが、
今日陳腐に見えることはよくあることだ。
そんな数日でもうまくいかないのに、
数カ月まったく同じアイデンティティーが保てるわけないよね。
ところが、それが作品を書くことに必要なんだよね。
脚本を書くのには、ざっくり一か月はかかると思う。
文字量の手間だけではない。
準備はもっとかかるし、見直しはもっとかかる。
人にもよるから、ざっくり一か月としよう。
で、
そんなに長期的に、同一のアイデンティティーを保つのは、
結構難しいな、と思うわけ。
ショートならそうでもない。
一日で書き上げられるからね。
その日の時間帯で気分が変わることもあるが、
まあおおむね最初から最後まで、
あなたのアイデンティティーは同一であろう。
多少のブレがあったとしても、
修正可能な範囲でしかブレはない。
それが、2、3日や、一週間程度ならば、
まあブレの範囲を収めることは、
そんなに難しくないと思う。
一週間でどれくらい書けるかな。
たぶん60分くらいまで書けちゃう人もいるかもね。
僕は30分くらいまでなら一日で書くことにしているが、
60分となると数日かそれ以上かかる。
だが、一週間で2時間の脚本を仕上げるまではとても無理だ。
二週間でできる? 僕は無理だね。
三週間よりどうしてもかかる。
60分と2時間の差は結構あるんだよな。
それは、一気に書き上げるだけの、
アイデンティティーを保てない、
ということと関係あるような気がしたわけ。
一週間前に考えていた、
とても細かいことを、
全部覚えている人は少ないだろう。
一週間も違えば、
興味や気分や考えていることはだいぶ違うはずで、
その、「違うこと」が生きてる証拠だとも思う。
それをまるで、
「ずっと同じことを考え続け、
全てに神経を通したもの」をつくることが、
作品をつくるという感覚だ。
違うところでアイデンティティーが保てていないならば、
「つながってないやんけ」ってなるわけだ。
絵に例えるとわかりやすいかもしれない。
巨大な絵、一か月以上かかる絵を描くとしよう。
描いたことがなくても、
一か月もあれば、
ある部分と別の部分が、トーンやデッサンが変わってくることは、
簡単に予測できる。
群像劇みたいな絵だったらいいけど、
手と足を別人が描いたみたいな、
まるで違う感じの絵になってしまうことは、
想像すれば大体わかるのではないか。
最初に描いた部分と、
最後に描いた部分では、
別人が別の考えで、描いたようになってしまっているようなイメージだ。
全体に統一感をつくるには、
その後また部分を磨いて、
全体を一人の人間が一気に描いたようにしなければならない。
そのように統合をすることが、
シナリオではなかなか難しいよね、
ということを言おうとしている。
最初に書いた部分のところで考えていたことを、
最後まで思っていただろうか?
ある所を書いたことで気分が変わったとして、
それが前の所でも通用するだろうか?
つぎはぎになってしまっているとき、
あなたのアイデンティティーは保てていないのだ。
同一人物がひとつのことを考えて、
一気書きしたようになっていないわけ。
それは、受け手にとって、
間違い、ノイズにしかならないんだよね。
受け手の前提は、
「作者が同一のアイデンティティーであること」だろう。
当然すぎて、文字にすらしたことがないくらいだろう。
でも書く側は、一か月前の俺が考えていたことと、
今俺が考えていたことが違うから、
同一のアイデンティティーを保つことは、
実はかなり難しいんだよね。
これを防ぐ、唯一の方法は、
「一気読みして、一気書きすること」しかない。
一気読みはまあ出来るとして、
一気書きは不可能だから、
リライトでやるしかない。
つまり、リライトの赤ペン入れを、
一日程度で一気にやる、
しかないと思うんだよね。
2時間ならばぎりぎりできないこともない。
でもその工程に至る前に、
色々直さないといけないところがあり、
一日で直すことは難しいかもしれないね。
でもそういう数日の直しを経ると、
また全体が一か月+数日かけたアイデンティティーによるものになっていて、
一気読みすればするほど、
作者のアイデンティティーにブレがあるように感じるわけ。
そのうち、直しまくって、
一つのアイデンティティーどころか、
別人が書いたパートのつぎはぎになってくる。
そこまでリライトしたときに、
また一からケツまで、
一気書きの直しが出来るか?
というのはとても大事なことだと思う。
なので、
リライト後半は、
このアイデンティティーの同一性と、
一気読みの気持ち良さと、
つぎはぎの凸凹直し、
というのが主な課題になる。
内容と前後しながらのものになるので、
かなりテクニカルだと思う。
これを言ったやつが、後半こんなことを考えているはずがない、
などに思い至れれば、
だいぶそのリライトはうまくいくだろう。
数カ月アイデンティティーを保つのは、
実のところかなり難しい。
だから、
まるで一つの人格、思想が、
長い文章を書いたようにつくる。
それが、「つくる」ということだ。
執筆は決してライブではない。
そうしてアイデンティティーを保つ「つくる」をするんだね。
執筆でライブ感を重視する、
なんてのは、このアイデンティティーを保てるだけの精神力がない証拠だ。
アイデンティティーを保ちながら、
まるでライブで書いているような臨場感、
段取りを感じない感じにしていかなければならないのだ。
2023年12月29日
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