2023年10月24日

なぜTwitter→Xは定着しないか

Xと呼ぶ人は9%しかいないんだってさ。

なぜ定着しないか?
これを説明できないやつは、
ネーミングについて理論的に把握してないやつだ。

イーロンマスクがそれを把握してるとは思えないので、
解説しておこう。
なぜ定着しないか?
考えてみよう。シンキングタイム。


・名が体を表していないから
・イコンがないから
・他に類似のものがあり、古くてダサい名前だから
・襲名披露をしていないから

の4つかな。


・名が体を表していないから

tweetが「つぶやき」という意味だというのは、
Twitterが出てきて初めて知ったことだ。
ツイッターってなに?→「つぶやく」もの
というのが第一印象理解であり、
名が体を表していたから、
我々は、「そうか呟けばいいんだな」となった。
つぶやくことを「ツイートする」、
人のツイートにつぶやくことを「リツイートする」
と、すべてはツイートで一気通貫してたわけ。

バックドロップは、「後ろに落とす」技のことである。
名が体を表している。

だから、Twitterは、
他人の呟きを見る場であり、
自分が呟く場であり、
他人の呟きにリ呟きする場である。

ツイートという概念が一気通貫して、
ひとつの場を形成していたわけ。

これがXになると訳がわからない。
ツイートするのはポストするであり、
リツイートするのはリポストであるという。
じゃあポスターやんか。
まだ、Xする、リXするならばマシだった。
サービス名Xと、中身の概念が一致しない。

一気通貫されていた「名が体を表す」が、
「バラバラにされて関連がないもの」になった。

つまり概念が弱くなった。
人々が強い概念であるTwitterを捨てないのは、
合理的判断だ。


・イコンがないから

概念にはそれを象徴する一枚絵があると、
記憶の定着がはやい。
それをイコン(アイコン)という。
つぶやき、つぶやかれ、つぶやきをのぞき、のぞかれ、
という場では唇の絵でも良かったのだが、
Twitterはもっと可愛い小鳥のさえずり的な、
青い鳥をもってきた。
これによって、「かわいいつぶやきですよ」となったわけ。
仮に罵詈雑言が飛び交っていたのが実態だとしても、
かわいくまとめていたんだね。

ところがXはアイコンが存在しない。
黒いX文字は存在するが、それは文字であり絵ではない。
仮にこれが絵だとすると、
不可能を示すバツであり、
行き止まりでしかないわけ。
しかも鉄十字みたいなテイストにしてきたので、
重苦しい禁止を意味したアイコンになってきた。

Twitter本社の屋上に掲げられたXアイコンは、
「悪の本社」扱いされて嘲笑された。
可愛くたのしく明るくやってきたイメージが、
黒い鉄十字になれば、
そりゃそんなもの触りたくなくなるわな。

いまだにTwitterの青い鳥アイコンのほうを、
みんな親しみをもって記憶している。
黒いXは記憶に定着しない。
ナチスと同じようなイメージだからね。


・他に類似のものがあり、古くてダサい名前だから

外国はどうか知らないが、
日本においてはXはとても古くてダサい名称だ。
総裁X(ガッチャマン)、
ミスターX(タイガーマスク)、
X-Wing(スターウォーズ)、
なんか全部70年代だし、
遊星からの物体X(映画)、
XJapan(バンド名)も80年代のネーミングセンスだ。

つまり、いまさらXは50年前、40年前のネーミングセンスなわけ。
少なくともおじさんおばさんは、
ダッサ、と本気で思っている。
Z世代は知らないからアレだけど、
他にX的なネーミングが沢山あるのは知ってるから、
アイデンティティが確立しないのはたしかだ。

そして、Xの中のXだとしても、
意味は「未知数」である。
何をしてくれるかわからない未知数のサービスを、
人は信用する訳がない。
Twitterという、一気通貫したツイートプラットフォーム、
というほうが圧倒的にわかりやすいし、
信用できる。

似た事例に、NOTTVという、
「テレビじゃないテレビ」があった。
「じゃあなに?」が提示できないまま、
どこかへ消えたよね。
このネーミングをしたやつはバカだと、
いまだに思っている。

「私はただの人ではないのだよ」
はハッタリである。
「わたしは○○なのだ」が、
アイデンティティーを示すということだ。


・襲名披露をしていないから

さて、なんだかんだいっても、
日本人は「襲名披露イベント」があれば馴染む。

まあそのように開き直ったのならば、
そう認識してやらないこともないが、
みたいな。
でも僕にとってはまだ桂ざこば、貴花田なんだよな。
好きだった時代の名前で覚えている。

Xには、襲名披露がなかった。
そして、TwitterよりもXのほうが優れているとか、
XはTwitterにないこういう価値を目指す、
などのような印象的なプレゼンがなかった。

だから「いつのまにか勝手に不便なものに改悪された」
のがXで、
「もとのわかりやすい便利なもの」を、
人は使い続ける。

イーロンマスクは、
少なくともYouTubeか自アカで、
3分間の素晴らしいXのプレゼンビデオをつくるべきだった。
宣戦布告のない戦争のようで、
それは不気味で信用ならないものだ。

出自のはっきりしないものを、
人は喜んで安心して使わない。




ネーミングセンスとは、
つまり、この逆を考えれば良い。

・名が体を表していること
・イコンがあること
・他に類似がなく、新しくていい名前であること
・第一印象を鋭くはっきりさせること

これをやれば、
親しまれ、わかりやすい、みんなが受け入れる、
ネーミングになる。


脚本論にもどすと、
一番に現れるのはタイトルだ。
主人公名やキャラクター名、アイテムや組織名などもそうだけど、
それよりも圧倒的にタイトルのほうが、
回数がまわる。

タイトルが光らないと、
手に取ってもらえないのは明らかだ。

Xなんてものに人は手を出さない。
Twitterってのがあってね、から入れば、
人はそれを記憶しやすい。
posted by おおおかとしひこ at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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