配列理論では、
中段であるホームポジションが大事だとして、
中段だけで言葉が書けるなんてことをよく誇ったりする。
そうかな、と僕は疑問に思っている。
Twitterで見たんだけど、
たとえば次の言葉は親指シフトで中段だけで書けるそうだ。
【】を左シフト、〈〉を右シフト表記で。
阪神難波線 H;S;【D】;【H】G;
巨人阪神戦 K〈L〉〈S〉;H;S;G;
投手戦 JAS〈L〉G;
熟語で「ん」が出て連続する、
ということを考慮すれば、
「う」「ん」が中段にある親指シフトは、
こうした熟語が中段になりやすく、
したがって複合的な並べた熟語
(専門用語でなんというのだろう。
たとえば兵庫県阪神難波線甲子園駅くらいには、
漢字は連続するものだ)
では、中段率がかなり高くなることが予測される。
ということは、親指シフトは熟語中段、
という隠れた特徴があるのかもね。
さて本題。
僕は、中段こそが一番コストが低いキーだと考えていない。
A;の小指がやや打ちにくいとか、
WEIOの長い指上段も打ちやすいとか、
単打コストの話ではない。
たとえばIに中指を伸ばした時、
中指だけが伸びるのではなく、
指全体が伸びて弛緩するから、
IUとアルペジオするほうが、IJとアルペジオして戻ってくるより、
コストが低いよね?
ということを言おうとしている。
単打コストでは確かに中段はコスト0で、
その他のキーはコスト○○、のように見積もれるのかも知れないが、
一旦手がそっちへ動いたら、
そこからのコストで、各キーのコストが変動すると思う。
仮にUIOの単打コストが1で、JKLの単打コストが0としたときに、
IUOとアルペジオしたらコスト3、
IJOとアルペジオしたらコスト1、
みたいな計算は変じゃない?
IUOがコスト1、IJOがコスト2くらいが妥当なのでは?
あるキーを打った時の手の形で、
次に打ちやすいキーを定義するべきだ。
(いちいちホームポジションに戻らない前提)
Hを打つときは横に動いてるから、H;はコストが上がるだろ、
ということだ。
ホームポジション信仰は、
こうしたことに対して思考停止になると思う。
打鍵は運動であり、ダンスだ。
ダンスの軌跡全体で評価するべきではないか。
「ある体勢から次の体勢に行くことが楽かどうか」
で評価しないと、
ダンスはぎこちなくなるのでは?
薙刀式の右下段なんかは特にこの考え方が顕著で、
「せっかく右手を下段に下げたんだから、
このまま右手下段でアルペジオしたろ」
という考え方になっている。
なん、たん、なら、たら、なれ、たれ、
られ、なんかはその代表的な運指だ。
それぞれ、
M, N, M. N. M/ N/ ./
である。
あるいは、
Mを打ったら手首がやや反時計回転するから、
その反動で中指が伸ばしやすくなるやろ、
と考えて、MIはまあまあ打ちやすいと評価している。
ここに当たってるのが「なる」だ。
まあまあ使う言葉になるわけ。
こうした、
「あるキーを打った時の手の形からの連接」
を評価した例は今までない。
理論的に、経験的に数値化することが難しいからだろう。
それを900連接測定で測ったので、
少なくとも僕のデータはある。
あるキーを打った時に、どこへ繋ぐのが速いかは、
30×30のデータが揃ってるので、
ご自由にお使いください。
そしてそれによれば、
中段同士のアルペジオよりも、
速いパターンがたくさんあり、
中段は必ずしも正義ではない。
つまり、中段を神聖視する必要はないと思う。
親指シフト信者は、
80年代初頭の打鍵理論しか知らなくて、
アップデートしていないことが多い。
カルトの基本は知識を限定させて、
それを真実と思い込ませることだ。
井の中の蛙に囲い込むことが、カルトの目的である。
別にカルトにすることが親指シフトの目的ではあるまい。
2023年10月28日
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