2024年01月04日

才能とは「軽々とこなせる」ことをいう

実のところ、人は、
「人が必死でギリギリ搾り上げたもの」
には興味がない。
「必死すぎて、引く」からである。

人が喜び、憧れ、夢中になるものは、
「余裕で高出力レベルが出ているもの」だ。


自分にできる限りの無茶を課して、
ギリギリまで追い込み、
自分にできうる限りの最高のものを出したとても、
絶賛される確率は低いと思う。

「よくここまでレベルの高いことをやった!」
という褒めが発生するのか?

他人をそうやって褒めたことはないよね?
「あいつはいつもギリギリまで自分を追い込んでてすごい」
「あいつはいつも限界ギリギリまでやる」
かな?
それを「良かった」と素直に思うかな?

「いや、楽勝ですよ。
でもちょっといいのが出来たんで見てって」
というスタンスのもののほうが、
惹かれると思うんだよ。

ギリギリまで追い込んだボディビルダーよりも、
鼻歌ギター一本の天才ミュージシャンのほうが、
人気になるよね。

120%よりも、
80%のほうが、
「自分が入る隙間がある」と思えるからだ。


ワンオペでギリギリになってる店よりも、
何人かおばちゃんが働いてる老舗のほうが、
安心するよね。
そんな感じ。


あなたの作品はどうなってる?

ギリギリまで追い込んで、ぬるいのが一切ない、
蟻の入る隙間もないものになってる?

そこまで追い込んだうえで、
わざとネジを緩めて、
少し余裕を見た、
脱力のちゃんと出来てるものになってる?

単に手を抜いた脱力と、
真の脱力は異なる。

全部に力を入れられるコントロール力があって、
はじめて全身の脱力は可能になる。
無自覚の脱力は脱力ではない。

あらゆることを考え尽くして、
意図的に緩くしたものが、
真の脱力である。


そのとき、
そのハイレベルに余裕なものと一緒にいたくて、
人は集まってくる。
だってキリキリしてないからね。


糸井重里の書くコピーは、
そうした意図的な脱力のよい見本だ。

モテるアイドルは、
「こんな僕でもいけるかも知れない」
という幻想を持てる、隙間のあるアイドルである。

天然で売ってる人もいて、
それは結果的にそうなのかもだけど、
我々のつくるものは、
徹底的にやって、そういう天然に見えるやつである。


道の向こうからやって来るのが、
体脂肪率2%まで追い込んで、テッカテカで黒焼きした、
ポーズをガチガチに決めて「ンンンン!」って言ってるボディビルダーか?
ゆるーくギター一本で遊んでるように歌うミュージシャンか?

どちらが目を引くか?
どちらと最後までいたいか?

あなたがどっちといたいかはどうでもいい。
みんなに人気になるのはどっち?
posted by おおおかとしひこ at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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