ストーリーそのものに、
多分オリジナリティを求めることは難しいのでは。
オリジナリティは、
設定とキャラクターに出るような気がする。
ストーリーには型がある程度ある。
それが三幕構成理論であり、
ブレイクシュナイダーのビートシートだったり、
その他起承転結や8個に分ける日本映画のハコガキという方法論なども、
すべて型にストーリーをはめようというものだ。
あるいは、
ミステリーで犯人が真相を吐露するところであったり、
どんでん返しでよくあるパターンだったり、
こういう展開はよくあるよなあ、
なんてものも、
他人の型を利用しているわけだ。
だから、ストーリーそのものがオリジナリティを放つことって、
そうそうないんじゃないかと思われる。
以前からあるパーツの組み合わせが、
わりと妥当なものになるからだ。
もちろん、いろんなことを実験して、
従来のパターンから脱却するようにすることは、
とてもよいことだ。
ただし、
かつては「解決しないのが新しい」とか、
「主人公以外が解決するのが新しい」とか、
「途中でジャンルが変わるのがいいのだ」とか、
いろいろやってみたが、
気持ちよくなくて失敗したものが多数あることも、
よくよく勉強しておくといいかもね。
たいていの新しいパターンは、
たいてい誰かが過去に試して、
失敗したから、
今がある。
失敗史を学ぶことは大事なことで、
人類は失敗を礎に次をつくる。
(だから失敗したくそ映画から、
学ぶことはたくさんあるのだ。
名作だけ見ていてもわからないことはそれだ。
「こう考えるといいんじゃね?」
と考えたはいいものの、結局それはつまらなかった、
という例をたくさん知っていることはいいことだ)
で、
新しいストーリーのパターンをつくるよりも、
より簡単なのは、
設定とキャラクターだろう。
舞台設定、世界設定、問題設定、
あるいは解決の手段や解決法、
またそれぞれのキャラクターの性格、見た目、
そして動機などの部分は、
誰でもつくれるがゆえに、
いろいろな組み合わせが可能だ。
そして、オリジナリティを出しやすい部分でもある。
ちょっと変われば、だいぶ変わったように作れるからね。
極端にいえば、
人気のキャラの髪型と着ているものと、色と、
顔をちょっと変形して、
違う動機を持たせれば、
たぶんだいぶ違うキャラとして認識されるだろう。
パクれ、というわけではないが、
何かをベースにして、
まったく違う(と思われるもの)を作りやすいのは、
キャラクターだと思う。
なんなら、オリジナルな人は周りにたくさんいるよね。
それをモデルに、
ちょっと変形しただけで、
オリジナルなキャラクターはすぐにつくれるというものだ。
かつて宮崎は、「アニメを見たやつがアニメをつくろうとしている」
と批判した。
それはつまり、
設定からして従来のアニメをベースにつくろうという、
怠惰な態度を批判したわけ。
アニメしか見たことがないやつがつくるものは、
アニメから学習したChatGPTのようにしかならない。
そうじゃなくて、
もっと広い世界があるんだから、
そこから学べ、という風に宮崎は思っていたのだろう。
オリジナリティはつまり、閉じた世界からではなく、
開いた世界からやってくるわけだ。
というわけで、
キャラクターや設定は、
これまで映画やアニメでなかったものからも、
つくることが可能だろう。
だからオリジナルが作りやすい。
一方、ストーリーというのは、
ストーリーにしかないものだから、
これの新しいパターンは、
ほかにないわけで、
だから新しいパターンは飛び切り難しいと思うよ。
もし、オリジナリティに乏しい、
と言われたら、
キャラクターや設定を変えて、
ガワを全然違うものにしてみることを勧める。
問題設定を変えるだけでも変わって見えるものだ。
あるいは、解決の仕方、落ちでもいいよ。
それを変えるだけで、
急にオリジナリティが出てくるものだからね。
最後にいうセリフの一言が変わるだけで、
テーマががらりと変わってくることはよくあることだ。
オリジナリティがない、
と悩む人たちは多い。
平凡で、どこかで見たことのあるものばかりで、
もっとお前自身を見せてみろ、
なんて言われることはよくある。
そういう人は、本質的な部分などおそらく見てなくて、
キャラクターや設定を見ていることが多く、
それにオリジナルなものをぶつけると、
「見たことのない世界」とか急に言い出すことがよくあるよ。
ほんとうにストーリーだけで純粋にオリジナルなんてことは、
逆に難しいんじゃないかなあ。
なぜなら、
「納得の仕方」というのは、
人類共通だからね。
三段論法とか、オーソドックスにしたほうが、
分かりやすくなるものなので、
ストーリー自体はオーソドックス、堅牢で、
その上で暴れるガワがオリジナルであれば、
新しく見えると思う。
極論、
スーパーマリオのキャラを変えて、
ステージと敵と、スクロール方向を変えるだけで、
別ゲーに見えるよね。
そういうことさ。
そしてそれはオリジナリティがあるように見える。
ジャンプ避けゲーという本質は、
ほかのゲームにもあるから、
そのガワだけでオリジナリティというのは見えるわけだ。
さすがにこんな簡単な場合だと、
本質にオリジナリティがないのはばれるから、
そうじゃないものを一要素入れるだけで、
オリジナリティになってしまうと思う。
ストーリーというのはもっと複雑なので、
そこは組み合わせを変えるだけで、
ガワを張り替えればオリジナルに見えてしまうと思う。
僕のように「しょせんこれは〇〇の翻案ではないか」
とちゃんと読解力がある人にとってはバレバレになるから、
そうならないようにオリジナルな話にするべきだが、
多くの人はその工夫に気づかずに、
キャラや設定でオリジナリティを感じる、
ということを言おうとしている。
もちろん、本質的に中身でオリジナリティを出してもよい。
だけどそれが求められているのではなくて、
求められている「オリジナリティ」とは、
ガワのオリジナリティなことが多いよ。
同じストーリーでも、
違うキャラ、背景ならば、
まったく違うストーリに見えやすい。
王道の勧善懲悪やラブストーリーなんて、
ほぼそういうことだからね。
だから、
オリジナリティが乏しくて悩んでいる人は、
ストーリーづくりよりも、
ガワに注力してみると、
世界が変わって見えるに違いない。
2024年01月10日
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