2024年01月10日

オリジナリティはどこにある

ストーリーそのものに、
多分オリジナリティを求めることは難しいのでは。
オリジナリティは、
設定とキャラクターに出るような気がする。


ストーリーには型がある程度ある。
それが三幕構成理論であり、
ブレイクシュナイダーのビートシートだったり、
その他起承転結や8個に分ける日本映画のハコガキという方法論なども、
すべて型にストーリーをはめようというものだ。

あるいは、
ミステリーで犯人が真相を吐露するところであったり、
どんでん返しでよくあるパターンだったり、
こういう展開はよくあるよなあ、
なんてものも、
他人の型を利用しているわけだ。

だから、ストーリーそのものがオリジナリティを放つことって、
そうそうないんじゃないかと思われる。
以前からあるパーツの組み合わせが、
わりと妥当なものになるからだ。

もちろん、いろんなことを実験して、
従来のパターンから脱却するようにすることは、
とてもよいことだ。

ただし、
かつては「解決しないのが新しい」とか、
「主人公以外が解決するのが新しい」とか、
「途中でジャンルが変わるのがいいのだ」とか、
いろいろやってみたが、
気持ちよくなくて失敗したものが多数あることも、
よくよく勉強しておくといいかもね。
たいていの新しいパターンは、
たいてい誰かが過去に試して、
失敗したから、
今がある。

失敗史を学ぶことは大事なことで、
人類は失敗を礎に次をつくる。
(だから失敗したくそ映画から、
学ぶことはたくさんあるのだ。
名作だけ見ていてもわからないことはそれだ。
「こう考えるといいんじゃね?」
と考えたはいいものの、結局それはつまらなかった、
という例をたくさん知っていることはいいことだ)


で、
新しいストーリーのパターンをつくるよりも、
より簡単なのは、
設定とキャラクターだろう。

舞台設定、世界設定、問題設定、
あるいは解決の手段や解決法、
またそれぞれのキャラクターの性格、見た目、
そして動機などの部分は、
誰でもつくれるがゆえに、
いろいろな組み合わせが可能だ。

そして、オリジナリティを出しやすい部分でもある。
ちょっと変われば、だいぶ変わったように作れるからね。
極端にいえば、
人気のキャラの髪型と着ているものと、色と、
顔をちょっと変形して、
違う動機を持たせれば、
たぶんだいぶ違うキャラとして認識されるだろう。
パクれ、というわけではないが、
何かをベースにして、
まったく違う(と思われるもの)を作りやすいのは、
キャラクターだと思う。

なんなら、オリジナルな人は周りにたくさんいるよね。
それをモデルに、
ちょっと変形しただけで、
オリジナルなキャラクターはすぐにつくれるというものだ。

かつて宮崎は、「アニメを見たやつがアニメをつくろうとしている」
と批判した。
それはつまり、
設定からして従来のアニメをベースにつくろうという、
怠惰な態度を批判したわけ。
アニメしか見たことがないやつがつくるものは、
アニメから学習したChatGPTのようにしかならない。
そうじゃなくて、
もっと広い世界があるんだから、
そこから学べ、という風に宮崎は思っていたのだろう。
オリジナリティはつまり、閉じた世界からではなく、
開いた世界からやってくるわけだ。

というわけで、
キャラクターや設定は、
これまで映画やアニメでなかったものからも、
つくることが可能だろう。
だからオリジナルが作りやすい。

一方、ストーリーというのは、
ストーリーにしかないものだから、
これの新しいパターンは、
ほかにないわけで、
だから新しいパターンは飛び切り難しいと思うよ。


もし、オリジナリティに乏しい、
と言われたら、
キャラクターや設定を変えて、
ガワを全然違うものにしてみることを勧める。
問題設定を変えるだけでも変わって見えるものだ。
あるいは、解決の仕方、落ちでもいいよ。
それを変えるだけで、
急にオリジナリティが出てくるものだからね。

最後にいうセリフの一言が変わるだけで、
テーマががらりと変わってくることはよくあることだ。


オリジナリティがない、
と悩む人たちは多い。
平凡で、どこかで見たことのあるものばかりで、
もっとお前自身を見せてみろ、
なんて言われることはよくある。

そういう人は、本質的な部分などおそらく見てなくて、
キャラクターや設定を見ていることが多く、
それにオリジナルなものをぶつけると、
「見たことのない世界」とか急に言い出すことがよくあるよ。


ほんとうにストーリーだけで純粋にオリジナルなんてことは、
逆に難しいんじゃないかなあ。
なぜなら、
「納得の仕方」というのは、
人類共通だからね。

三段論法とか、オーソドックスにしたほうが、
分かりやすくなるものなので、
ストーリー自体はオーソドックス、堅牢で、
その上で暴れるガワがオリジナルであれば、
新しく見えると思う。

極論、
スーパーマリオのキャラを変えて、
ステージと敵と、スクロール方向を変えるだけで、
別ゲーに見えるよね。
そういうことさ。
そしてそれはオリジナリティがあるように見える。
ジャンプ避けゲーという本質は、
ほかのゲームにもあるから、
そのガワだけでオリジナリティというのは見えるわけだ。

さすがにこんな簡単な場合だと、
本質にオリジナリティがないのはばれるから、
そうじゃないものを一要素入れるだけで、
オリジナリティになってしまうと思う。
ストーリーというのはもっと複雑なので、
そこは組み合わせを変えるだけで、
ガワを張り替えればオリジナルに見えてしまうと思う。


僕のように「しょせんこれは〇〇の翻案ではないか」
とちゃんと読解力がある人にとってはバレバレになるから、
そうならないようにオリジナルな話にするべきだが、
多くの人はその工夫に気づかずに、
キャラや設定でオリジナリティを感じる、
ということを言おうとしている。

もちろん、本質的に中身でオリジナリティを出してもよい。
だけどそれが求められているのではなくて、
求められている「オリジナリティ」とは、
ガワのオリジナリティなことが多いよ。

同じストーリーでも、
違うキャラ、背景ならば、
まったく違うストーリに見えやすい。
王道の勧善懲悪やラブストーリーなんて、
ほぼそういうことだからね。


だから、
オリジナリティが乏しくて悩んでいる人は、
ストーリーづくりよりも、
ガワに注力してみると、
世界が変わって見えるに違いない。
posted by おおおかとしひこ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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