ものを書く時の視点はどこにあるか?
自分の意識は物語のどの辺にいるか?
という、書き手とタイピングの深い話を、
天キーのあとの飲みでもりやんさんと喋ってたので、
消えるには勿体無いので記録しておく。
アクション、リアクションというのは、
「書きたい(これから書く)場面」に対して、
自分がそこに分け入って書くタイプをアクション、
そこで起こったことを把握して記録するタイプをリアクション、
という風に考えているように思える。
僕は前者のタイプで、
もりやんさんは後者のようだ。
ざっくり言えば、
一人称視点と三人称視点の差かも知れない。
僕は登場人物の中に入り、
その人の気持ちになって行動するけど、
勝手に動くキャラを観察日記のようにつける書き方があるのも、
全然分かる。
ずーっとそれかというと、
勿論そうではなくて、
行き来することもあろう。
でなければ客観視したり、
熱い思いを共有したり、
両方は難しいだろうからね。
だからあくまで基本スタンスがどっちか、
の違いしかないだろうと思われる。
で、
その時タイピングの姿勢や打ち方も異なるのでは?
というのが本題。
左右分割、テンティングとはいえ、
僕はなるべく前のめりに書きたいから、
どうしても肩が前に出て、
首がストレートネックになり、
それを抑えるために、
膝上打鍵システムを考えてるんじゃないか。
一方もりやんさんは、
バチクソテンティングなので、
もう少し冷静になってるんじゃないかと比較してみる。
武術的姿勢でいうと、
僕は実は正中線を開けた状態で書いている。
正中線を文字に重ねたいので。
つまり自分の意識は文字の距離にいて、
そこと間に何も挟みたくない。
バチクソテンティングの場合、
自分と文字の間に一枚挟まってる感覚になるんじゃない?
ってことを思ってて、
それは正中線を閉じた状態で書くことになるんじゃないか、
と思った。
前傾姿勢、後傾姿勢の心構えの違い的な。
ピッチャーとキャッチャーみたいな。
そうそう、
紙に書くときに首痛くならないか、
って話のときに、
タブレットを水平に置いて書いてみたら首が痛くなった、
という実験を話すのを忘れてた。
タイピング姿勢と、ペンで書く姿勢は、
どこかが絶対に違ってて、
単に文字の位置が水平高さか机高さかの差ではないっぽい。
ちなみにもりやんさんは机で紙に書くと首が痛くなるそう。
タイピングと同じ身体感覚なのかなあ。
僕はいつも適当な姿勢で寝返り打ちながら書いてるし、
そもそもペン先が書く文字をほとんど見てない、
という話をしたら、
なるほどという空気になってたな。
ペンで書く文字は、
自分の妄想上の体験を、
日本語というものに変換しているにすぎない、
みたいな感覚か。
だから僕の目は、妄想上の体験にピントがあってて、
文字にピントが当たってないし、
たぶん見てないな。
手書き漢直だから漢字変換が伴ってないので、
母国語をブラインドで書いてるだけかもなあ。
それに比べて、
タイピングだと漢字変換が伴って、
手前のIMEを一々見ないといけないのが、
めんどくさいのかもしれない。
だから第一稿手書きの方が、
妄想に集中できるんだろうな。
それはあくまでアクションのほうの視点だから、
であり、リアクションのほうの視点だと、
また見え方や軸足の置き方は変わってくるんだろう。
僕は書くことを体験的、主観的に捉えているが、
俯瞰的、分析的に書くこともできるはずで、
そうなるとタイピングのスタンスも変わるだろうと思う。
なるほど、おもしろい。
役者にも二通りあって、
自分の顔とか所作とか一切気にせず、
その人の気持ちになりきってやるタイプと、
「こっちの顔を見せたらきれいだろうなあ」とか、
「ここでこういうポーズだといいな」とか、
客観的見え方をプロデュースするタイプがいる。
前者の人は、見え方は監督やカメラマンが直してくれる、
と信じて、ぶっ込んでいくタイプ。
後者の人は、見え方がプロデュースみたいに思ってるタイプ。
僕はリライトで何度も直す前提で第一稿を書くから、
妄想にぶっ込むタイプなんだろうな。
なので、異なるタイプの人の打鍵姿勢や、
好みの感覚も変わるかも知れない。
僕は浅いストロークのスイッチを経て、
最近は3.8mmの深めを使ってるが、
それは「打った感が欲しい」ってことかも知れない。
妄想の体験を「掴み取る感覚」が欲しいのだろう。
浅めストロークだと、
客観的記録を取るのに効率が良さそう。
2023年11月05日
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