「数学は訳がわからない」
ことの代表にされる、動く点P。
なんだよPって、お前の正体はなんだよ、
って納得しないまま数学を進めることになり、
いつか数学なんて役に立たないと文句をいうことになろう。
点Pとは抽象化である。
抽象化と具体化を、そもそもできない人が、
数学に挫折するのではないか。
動く点Pは、
あらゆる動く何かを抽象化したものだ。
先に出発した兄、
自転車、電車、車、高速に乗った車、
エスカレーターに乗った人、
エレベーター、
飛行機、
走る人、ドローン、
株価、温度、貯金、月収、年収、利率、
拳、ナイフ、銃弾。
衛星砲、大陸間弾道弾、星間航法。
ウィルスの動き、菌糸の動き。
ありとあらゆるこうしたものを、
数式一発で解けるパターンについて、
学んでいるのですよ、
という、「抽象化と具体化の授業」が、
必要ではないかと思われる。
「この数式で解けそうな、
点Pの具体を10個考えよう」
という問題があってもいいと思うんだよね。
等速直線運動Pが先に走って、
それより後に出発したQが追いつく問題であれば、
PQはたいてい兄と弟なのだが、
上り調子の漫才コンビPと、
後追いでさらに人気のコンビQの人気投票、
なんてことだっていいわけだ。
あるいは株価でも同様だ。
普通電車と急行電車でもいいし、
キックに対してカウンターでパンチを合わせる、
でもいいと思う。
こんな風な、
あらゆる具体的なものが点Pになりえるし、
その点PとQの数式はいろんな具体物に当てはまる、
という、
抽象化と具体化の練習をしておかないと、
「点Pって何w」になってしまう。
「点Pは普通アレとアレとアレで使えそうだけど、
まさかコレでも使えるのか」
が、正しい反応であるべきだ。
たぶん、
こうしたことは学校で習っていない。
抽象化、具体化は、
頭のいい人はできるが、
バカはできない、
で止まっているように思う。
バカであったとしても、
抽象化や具体化ってのがあるんですよ、
というところまでは知っておいたほうがいいかな。
なぜなら抽象化は変数化であり、
変数を使っていろんなことがなされるからだ。
これは実社会でふつうに使われてることであって、
給料だって用意した変数の得点で決まるよね。
(その変数の組みが評価として妥当か、
という別の議論もあるけれど)
数学なんて役に立たない、
なんて言う人は、
点Pが具体的にいうと何に使えるかを言えない、
バカばかりということさ。
さて、脚本論である。
脚本論というのは、
抽象化したものを議論する。
たくさんの具体的なストーリーに共通するものを抜き出して、
抽象化して議論する訳だ。
それは具体的な中のものに、
共通する抽象的な特徴があるからだね。
共通してなければこの議論は成立しない。
だから、具体的な中にこの抽象が潜むぞ、
ということは、と、抽象化できなければ、
どんなに勉強しても無駄だろう。
そしてその抽象化されたものに対して、
具体に還元できる実力が必要だ。
「幸福を描くには、その前にどん底であると、
カウンターが効いてよい」
なんて抽象的な法則に対して、
どういう幸福か、どういうどん底か、
それがどれくらい心を振るわせるかは、
具体で決まる訳だからね。
それは具体化の才能、
といっても過言ではない。
プロットは抽象で書かれることが多いが、
実際の原稿は具体だ。
そこが苦手な人もいるだろう。
ぶっちゃけ、
すべて具体で思いついておいて、
プロット化する際に、
抽象化したほうが使いやすかったりするね。
カップヌードルにお湯をかけて戻す感覚かな。
動く点Pの話と、
使う金に貯金が追いつかない話は、
繋がっている。
抽象化、具体化を行き来して、
こうした思考に慣れることだ。
もちろん、抽象化しにくい具体的な話、
具体に還元しにくい抽象話もある。
前者を濃い話、
後者を絵に描いた餅という。
後者はとくに詐欺に使われるね。企画書とかね。
具体化しにくい抽象的なプロットは、
あなたが絵に描いた餅をつくって、
自分を誤魔化してるのさ。
出来たフリをしてね。
2024年01月11日
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