2023年11月08日

映画がエンターテイメントの墓場になっている

ゆりかごから墓場まで。

ゆりかごが、その作品の誕生の場だとする。
死ぬかも知れないが、冒険として誕生する。
それから成長して、
様々なメディアに乗り、拡大する。
それで最後の荒稼ぎに映画化される。

そしてそのコンテンツは成仏する。
ないし、シリーズ化という無限地獄に落ちる。

「ゼルダの伝説」実写化、
何十年ぶりかの「猿の惑星」製作のニュースを聞き、
そんなことを思う。


あれ?
映画って墓場なんだっけ?
ゆりかごになり得ないのかな?

演劇から出発したフィクションショーは、
映画という新しいメディアが誕生して、
演劇では原作が足りなくてオリジナルを量産した。
小説や漫画は、映画でやるには規模が大きすぎるから、
映画はオリジナルをつくる必要があった。

だけどCGの発達で、原理的にはそこをつなぐことが可能になった。
だから映画には「原作」が山程できた。

かくして、映画特有のオリジナルをつくるよりも、
もっと金がかかるがリターンのでかい、
「実写化」というビジネスへ変容していった。
そのうち、
つくるのが大変で力量のいるオリジナルを、
つくる実力が映画界で弱腰になっている。
映画会社はバイヤーでありメーカーではなくなっている。
なんならサプライヤーか。

そのうち、墓場になっていくのかな。

次のオリジナルは、
演劇、漫画、小説、ラノベ、Twitterで生まれている。
脚本で生まれてる?
どうだろう。
posted by おおおかとしひこ at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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