2023年11月09日

ストーリーは時間軸ではない

AIを研究することで、
逆に人間は何をやってるのか深めるシリーズ。

4コマ漫画をAIに描かせて、
自分の漫画と比較する実験をしてる人がいた。
まずはそれを見比べてみよう。
https://www.petsitter.co.jp/archives/39216/


AIの考えたストーリーは、
おそろしく詰まらない。

一方人間の書いた最後のものは、
ものすごく面白いかというとそうでもないが、
比較すればまだ4コマ漫画になっている、
といえよう。

前者は新聞4コマには使えないが、
後者は使える。
これは微妙な差ではなくて、
決定的な差があることを感じる。

それはなにか。

「落ちた、という感覚」の差だと思う。


落ちた、つまりオチがついた、
と思い、我々は笑うわけだ。

人間の書いたものでは、
「引き戸かと思ったら押し戸でした」
というオチがあることで、
前の「開かないぞ、バリーン」が、
「間違ってた」という意味に反転する。
つまりこれは、
「間違えましたすいませーん!」
というストーリーである。

この間違いを表現するために、
わざと間違いを大袈裟なものにして、
面白くしているわけだ。
つまり小ボケを大ボケにすることで、
強く面白くしているわけ。

それらの意図を我々は読み取るため、
「なるほど、
これはパワフル大袈裟間違いシリーズだな」
と理解して、
笑いになるわけだ。


AIがつくったものは、
この、
「笑いになる構造」が存在しない。

ある人とペットの時系列を、
イン点からアウト点まで切り抜いただけだ。

架空の何かについて、
ここまで構築できるのか、
とAIの発展そのものには驚くが、
これをもってストーリーと強弁することはできない。

時系列とストーリーは、
似て非なるものだからだ。


似てることはなにか。

ある架空の世界の、
複数の人物が、何かをいい、何かをする。
その因果関係が破綻せず、一連になっている。
たとえば猫が宇宙人になったり、
3コマ目で砂漠に行くことはない。
あるいは、3と4の順番が逆だったりはしない。
前から順に時間が進み、世界の法則に従っている。

そしてそれがひとつの、
「ペットシッターとペットの日常」という世界観で貫かれている。


非なる部分はどこか。

そのストーリーの目的(この場合、笑わせること)に、
合致した構造があるかどうか、ということ。


ない場合、
それは、「あったことを記録した、
因果関係の時系列」にすぎない。

それはストーリーではなく、
ドキュメントにすぎない、
ということに関して、
このブログではたくさん議論してきた。

この、
あったことの記録、ドキュメント、時系列、単なるまとめは、
ストーリーではない。

「それによってどうしたいか」がないからだ。


仮に猫動画を考えよう。

可愛い猫が1時から3時までやったことを、
写真や動画でまとめた、ドキュメントがあるとしよう。

それはただそれだけだよね。

ただし、
「ウチの可愛い猫をみてください!」
という意図書きがあれば、
「ああかわいいねえ」と見てくれるわけだ。

これがもし、
「世界平和を訴えたいです」
という目的の動画だとしたら?
猫と関係ないよね。

せいぜい、
「この猫がこうしてるってことは、
世界は平和だってことです」
「この猫の平和をみならって、戦争をやめよう」
なんてメッセージがあれば、
成立するかも知れない。

だけど、
そのメッセージを訴えたいなら、
動画はせいぜい数秒でいい。あっても30秒だな。
二時間もいらないわけだ。

猫(モチーフ)をつかって世界平和(テーマ)を訴えたいなら、
たとえば、
「子供の飼ってる猫が、
爆撃の音に驚いて家から逃げて行方不明に。
慌てて探しにいこうとするが、爆撃が止むまで外に出るな、
と親から厳しく言われる。
だけど猫が心配で親の言いつけをやぶって外に出て、
爆弾にやられた、首がもげた猫の死体をみつけてしまう。
泣きながら家に帰ろうとすると、
反転して帰ってきた爆撃機が、
二回目の爆撃をはじめる。
爆撃にやられた子供は、首がもげる」
なんてストーリーがいるはずだ。

これは、テーマをいうための、
モチーフによる構造をもっている。

昔これを図に表せないかと色々やってみたのだが、
このストーリーのテーマ構造は、
文字に表れていない、
隠れた構造なので図にできない。

ここに「世界平和」は、
明示されていない。
暗示されたものだからだ。

にもかかわらず、
我々は「戦争は許せない」「どうしたら戦争はやめられるのだろう」
「なぜ戦争は起きるのだろう」と考えてしまう。

それは、このストーリーの目的が達せられた、
というわけだ。


これは、ストーリーの構造によって喚起される。

そして、それをつくることが、
ストーリーをつくることだ。


AIになく、人間にあるものはこれだ。

はげしく間違えてズコーとリアクションすることで、
我々は笑う。
「笑う構造」をそこに見るからである。

「このパターンは覚えた」
とAIはなるだろうか?
いずれなるかも知れない。
古今東西のパターンを、
ガワから見えていない構造までわかるようになれば、
教えなくてもできるようになるかも知れない。

だけど、
人間ができるようになる方が早いだろう。

もっとも、才能のない人間では、
一生身につくまい。
そういう人がAIに負けるだけだろう。



さて、
このストーリー構造づくりができるか?
それがストーリーテラーの仕事というものだ。

posted by おおおかとしひこ at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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