AIを研究することで、
逆に人間は何をやってるのか深めるシリーズ。
4コマ漫画をAIに描かせて、
自分の漫画と比較する実験をしてる人がいた。
まずはそれを見比べてみよう。
https://www.petsitter.co.jp/archives/39216/
AIの考えたストーリーは、
おそろしく詰まらない。
一方人間の書いた最後のものは、
ものすごく面白いかというとそうでもないが、
比較すればまだ4コマ漫画になっている、
といえよう。
前者は新聞4コマには使えないが、
後者は使える。
これは微妙な差ではなくて、
決定的な差があることを感じる。
それはなにか。
「落ちた、という感覚」の差だと思う。
落ちた、つまりオチがついた、
と思い、我々は笑うわけだ。
人間の書いたものでは、
「引き戸かと思ったら押し戸でした」
というオチがあることで、
前の「開かないぞ、バリーン」が、
「間違ってた」という意味に反転する。
つまりこれは、
「間違えましたすいませーん!」
というストーリーである。
この間違いを表現するために、
わざと間違いを大袈裟なものにして、
面白くしているわけだ。
つまり小ボケを大ボケにすることで、
強く面白くしているわけ。
それらの意図を我々は読み取るため、
「なるほど、
これはパワフル大袈裟間違いシリーズだな」
と理解して、
笑いになるわけだ。
AIがつくったものは、
この、
「笑いになる構造」が存在しない。
ある人とペットの時系列を、
イン点からアウト点まで切り抜いただけだ。
架空の何かについて、
ここまで構築できるのか、
とAIの発展そのものには驚くが、
これをもってストーリーと強弁することはできない。
時系列とストーリーは、
似て非なるものだからだ。
似てることはなにか。
ある架空の世界の、
複数の人物が、何かをいい、何かをする。
その因果関係が破綻せず、一連になっている。
たとえば猫が宇宙人になったり、
3コマ目で砂漠に行くことはない。
あるいは、3と4の順番が逆だったりはしない。
前から順に時間が進み、世界の法則に従っている。
そしてそれがひとつの、
「ペットシッターとペットの日常」という世界観で貫かれている。
非なる部分はどこか。
そのストーリーの目的(この場合、笑わせること)に、
合致した構造があるかどうか、ということ。
ない場合、
それは、「あったことを記録した、
因果関係の時系列」にすぎない。
それはストーリーではなく、
ドキュメントにすぎない、
ということに関して、
このブログではたくさん議論してきた。
この、
あったことの記録、ドキュメント、時系列、単なるまとめは、
ストーリーではない。
「それによってどうしたいか」がないからだ。
仮に猫動画を考えよう。
可愛い猫が1時から3時までやったことを、
写真や動画でまとめた、ドキュメントがあるとしよう。
それはただそれだけだよね。
ただし、
「ウチの可愛い猫をみてください!」
という意図書きがあれば、
「ああかわいいねえ」と見てくれるわけだ。
これがもし、
「世界平和を訴えたいです」
という目的の動画だとしたら?
猫と関係ないよね。
せいぜい、
「この猫がこうしてるってことは、
世界は平和だってことです」
「この猫の平和をみならって、戦争をやめよう」
なんてメッセージがあれば、
成立するかも知れない。
だけど、
そのメッセージを訴えたいなら、
動画はせいぜい数秒でいい。あっても30秒だな。
二時間もいらないわけだ。
猫(モチーフ)をつかって世界平和(テーマ)を訴えたいなら、
たとえば、
「子供の飼ってる猫が、
爆撃の音に驚いて家から逃げて行方不明に。
慌てて探しにいこうとするが、爆撃が止むまで外に出るな、
と親から厳しく言われる。
だけど猫が心配で親の言いつけをやぶって外に出て、
爆弾にやられた、首がもげた猫の死体をみつけてしまう。
泣きながら家に帰ろうとすると、
反転して帰ってきた爆撃機が、
二回目の爆撃をはじめる。
爆撃にやられた子供は、首がもげる」
なんてストーリーがいるはずだ。
これは、テーマをいうための、
モチーフによる構造をもっている。
昔これを図に表せないかと色々やってみたのだが、
このストーリーのテーマ構造は、
文字に表れていない、
隠れた構造なので図にできない。
ここに「世界平和」は、
明示されていない。
暗示されたものだからだ。
にもかかわらず、
我々は「戦争は許せない」「どうしたら戦争はやめられるのだろう」
「なぜ戦争は起きるのだろう」と考えてしまう。
それは、このストーリーの目的が達せられた、
というわけだ。
これは、ストーリーの構造によって喚起される。
そして、それをつくることが、
ストーリーをつくることだ。
AIになく、人間にあるものはこれだ。
はげしく間違えてズコーとリアクションすることで、
我々は笑う。
「笑う構造」をそこに見るからである。
「このパターンは覚えた」
とAIはなるだろうか?
いずれなるかも知れない。
古今東西のパターンを、
ガワから見えていない構造までわかるようになれば、
教えなくてもできるようになるかも知れない。
だけど、
人間ができるようになる方が早いだろう。
もっとも、才能のない人間では、
一生身につくまい。
そういう人がAIに負けるだけだろう。
さて、
このストーリー構造づくりができるか?
それがストーリーテラーの仕事というものだ。
2023年11月09日
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