多くの打鍵理論やエルゴノミクスは、
そもそも「書く」を、点で捉えてやしないか。
キーボードの打鍵を、点、点、点…と、
点だけの集合で考えてるような気がする。
文章を書くことって、線の行為だと思うんよね。
もともとエルゴノミクスは、
戦闘機コクピットの椅子が劣悪なのがはじまりだ。
だから、姿勢をなるべく楽に、
までしか考えていないのではないか、
と僕は考えている。
つまり、
「体の荷重を受け止めて、
負荷が均等にかかること」が、
エルゴノミクスのゴールと勘違いしてるのでは?
ということ。
数学的に追求すれば、
「すべての筋肉の疲労が、究極点Tにおいて、
同時に疲れ果てること」が、
そのゴールになるわけだ。
僕はこれは間違ってると思う。
姿勢は点ではないからだ。
つまり、姿勢は線であると考える。
どういうことかというと、
「姿勢は毎時かわる」と考える。
平たく言えば、「ずっと同じ姿勢をキープする」
のではなく、
「都度寝返りを打ちながら、
新しい姿勢を見つけてそこで落ち着き、
また異なる姿勢に移動して…がつづく」
ことが姿勢の本質ではないか?
と考える。
直立不動と、「楽な姿勢」の不動は、
負荷は同じだ。点だから。
ほんとうの楽とは、
「負荷のかかるところを都度動かして、
負荷のかかってないところはその間に休む」
ではないだろうか?
かつて「働いてないアリが常に3割いる」というやつが流行った。
その3割は「常にサボっている」わけではないことが、
個体アリの追跡をすることでわかった。
個体アリの視点から見ると、
働いて、休憩して、働いて、休憩している。
それを全体から見ると、
7割は働き詰めで、3割は何もせずに休んでいる、
に見えただけの話だ。
つまり、休憩に入ったアリと、
休憩から出ていくアリがいて、
その時間あたりの出入りは拮抗している。
それが全体で見ると3割に見えるだけの話。
エルゴノミクスもこれと似ている。
全筋肉を負荷の小さい状態にキープするのではない。
働く筋肉を限定して、
他の筋肉は休ませておき、
働いた筋肉が休憩に入ったら、
別の筋肉が働き始める、
が理想なのでは?
ということ。
休憩なく全筋肉に(小さくとも)負荷がかかるのは、
それって空気椅子とおんなじやん、ということ。
先日まで試していた膝上打鍵システムは、
理想的な位置に手が来て、
理想的な姿勢になることができた。
でもそれが持つのはせいぜい20〜30分で、
足を組みたくなることがわかった。
「同じ姿勢をつづける」ことは、
無理なんだと感じた。
となると、
姿勢を点(時間変化のない静的なもの)ではなくて、
線(時間変化のある動的なもの。
ぱっと見動いてないが、実はちょいちょい動くもの)として、
見るべきでは?
と考えている。
これは、配列でも同じだ。
僕はタイピングを点の集合だと考えてなくて、
薙刀式は言葉を一筆書きで書くように扱う配列だ。
言葉のつぎめに線のつぎめが来るようなイメージで、
どんどん線を繋げていく感じ。
それは、思考が線だからだと思われる。
思考は点ではなく線だろう。
ちまたのタイピング理論では、
それを点の集合で近似しようとしてるのかもしれない。
だけど薙刀式は、
その線を線で写像しようとしている。
具体的にはアルペジオの多用や、
繋ぎの言葉を打ちやすくして、
文を繋げていくやりかたでだ。
だから、
その打鍵姿勢が、点であるのはおかしいなと思うんよね。
線の思考、線の配列、線の姿勢。
ぐにゃぐにゃと動く何かの軌跡が、
思考という線になると思う。
僕らはロボットではないので、
関節を固定することができない。
固定するだけで筋肉の負荷がかかる。
建物のような構造計算ではない、
姿勢維持コストみたいなものがあると考えられる。
だから下半身は、
足を組んだり、靴を脱いだり、
半ケツを浮かしたり、
半あぐらを組んだりする。
上半身は左右分割キーボードで固定されていて、
そこが良くないのかねえ。
じゃあどうすればいいんだろ。
キーボードの位置が動けばいいのか。
このことについて、もう少し考えなければ。
少なくとも左右一体型のキーボードは、
この姿勢固定を産むと考えている。
2023年11月13日
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