2023年11月13日

【薙刀式】エルゴノミクスは、線で考えるべき

多くの打鍵理論やエルゴノミクスは、
そもそも「書く」を、点で捉えてやしないか。

キーボードの打鍵を、点、点、点…と、
点だけの集合で考えてるような気がする。

文章を書くことって、線の行為だと思うんよね。


もともとエルゴノミクスは、
戦闘機コクピットの椅子が劣悪なのがはじまりだ。

だから、姿勢をなるべく楽に、
までしか考えていないのではないか、
と僕は考えている。

つまり、
「体の荷重を受け止めて、
負荷が均等にかかること」が、
エルゴノミクスのゴールと勘違いしてるのでは?
ということ。

数学的に追求すれば、
「すべての筋肉の疲労が、究極点Tにおいて、
同時に疲れ果てること」が、
そのゴールになるわけだ。


僕はこれは間違ってると思う。
姿勢は点ではないからだ。

つまり、姿勢は線であると考える。
どういうことかというと、
「姿勢は毎時かわる」と考える。

平たく言えば、「ずっと同じ姿勢をキープする」
のではなく、
「都度寝返りを打ちながら、
新しい姿勢を見つけてそこで落ち着き、
また異なる姿勢に移動して…がつづく」
ことが姿勢の本質ではないか?
と考える。

直立不動と、「楽な姿勢」の不動は、
負荷は同じだ。点だから。

ほんとうの楽とは、
「負荷のかかるところを都度動かして、
負荷のかかってないところはその間に休む」
ではないだろうか?


かつて「働いてないアリが常に3割いる」というやつが流行った。

その3割は「常にサボっている」わけではないことが、
個体アリの追跡をすることでわかった。

個体アリの視点から見ると、
働いて、休憩して、働いて、休憩している。
それを全体から見ると、
7割は働き詰めで、3割は何もせずに休んでいる、
に見えただけの話だ。

つまり、休憩に入ったアリと、
休憩から出ていくアリがいて、
その時間あたりの出入りは拮抗している。
それが全体で見ると3割に見えるだけの話。


エルゴノミクスもこれと似ている。

全筋肉を負荷の小さい状態にキープするのではない。
働く筋肉を限定して、
他の筋肉は休ませておき、
働いた筋肉が休憩に入ったら、
別の筋肉が働き始める、
が理想なのでは?
ということ。

休憩なく全筋肉に(小さくとも)負荷がかかるのは、
それって空気椅子とおんなじやん、ということ。



先日まで試していた膝上打鍵システムは、
理想的な位置に手が来て、
理想的な姿勢になることができた。

でもそれが持つのはせいぜい20〜30分で、
足を組みたくなることがわかった。

「同じ姿勢をつづける」ことは、
無理なんだと感じた。

となると、
姿勢を点(時間変化のない静的なもの)ではなくて、
線(時間変化のある動的なもの。
ぱっと見動いてないが、実はちょいちょい動くもの)として、
見るべきでは?
と考えている。


これは、配列でも同じだ。

僕はタイピングを点の集合だと考えてなくて、
薙刀式は言葉を一筆書きで書くように扱う配列だ。
言葉のつぎめに線のつぎめが来るようなイメージで、
どんどん線を繋げていく感じ。

それは、思考が線だからだと思われる。

思考は点ではなく線だろう。

ちまたのタイピング理論では、
それを点の集合で近似しようとしてるのかもしれない。
だけど薙刀式は、
その線を線で写像しようとしている。

具体的にはアルペジオの多用や、
繋ぎの言葉を打ちやすくして、
文を繋げていくやりかたでだ。


だから、
その打鍵姿勢が、点であるのはおかしいなと思うんよね。

線の思考、線の配列、線の姿勢。

ぐにゃぐにゃと動く何かの軌跡が、
思考という線になると思う。


僕らはロボットではないので、
関節を固定することができない。
固定するだけで筋肉の負荷がかかる。
建物のような構造計算ではない、
姿勢維持コストみたいなものがあると考えられる。

だから下半身は、
足を組んだり、靴を脱いだり、
半ケツを浮かしたり、
半あぐらを組んだりする。

上半身は左右分割キーボードで固定されていて、
そこが良くないのかねえ。


じゃあどうすればいいんだろ。
キーボードの位置が動けばいいのか。

このことについて、もう少し考えなければ。

少なくとも左右一体型のキーボードは、
この姿勢固定を産むと考えている。
posted by おおおかとしひこ at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック