2023年11月16日

シンギュラリティの正体

AIの発達に人間が安心してしまい、
人間たちが自らの技能を、
負荷をかけてトレーニングして向上させることを、
やめたとき、
なんじゃないか。


鍛えることは、とても苦しい。
過去と現在を比較して、未来を良くしなければならない。
継続的な忍耐力、分析力、発想力が必要だ。

そしてそれを出来る人は人類の上澄みで、
怠惰な人類は彼らに進歩を委ねてきた。

ところがAIの発達によって、
その上澄みが、下から順番にいなくなる。
怠惰に任せられるからね。


上澄みというのは、膨大な下支えがいないと、
上澄みにならない。
こうして上澄みが蒸発してゆき、
つまり努力する人たちが下から順に諦めてゆき、
克己する忍耐力を持った最後の人類ひとりが、
死ぬとしよう。

その頃AIは自己修復が物理的に可能で、
電力の供給も自力回復できるとしよう。
(ソーラーパネルを置いたり修理できるとする)


この日、
人類全員が努力をあきらめた。
シンギュラリティは、
客観的には緩やかな人類の自殺(原因: 怠惰、溶けようとすること)
によって達成するのではないだろうか。

蚕は人間の世話がないと、もはや絶滅するんだよね。
そんな関係になるのでは。
posted by おおおかとしひこ at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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