2023年11月17日

万全とは限らない

戦いは、双方が100%の実力を発揮して、
双方がフェアに全力を出し切ることなど稀だ。
それは漫画やゲームの中だけだろう。

リアリティとはつまり、
万全でない状態で戦わないといけないことで、
確保できる。


スポーツ漫画における「怪我」は、
これを実現させる為の小道具だ。
しかしあまりにも安易に使われるものだから、
「また怪我かよ」と、
単なるストレス的なデバフに見えることが多い。

そもそもスポーツとは闘争のゲーム化である。
フェアな条件で始めることを是とする。

だけど現実はルールで定められているわけではない。

自分ところに派遣された部下は使い物にならず、
上司はバカで逃げ腰で、
予算は理想の1/10で、
ついでに雨まで降ってくる。

状況はゲームを始めるに値しない状態だ。
それでもこの戦いをクリアしなければならない。
現実なんてそんなものだ。

だから、
そういう風につくるのだ。

ゲームはいいよなあ、対等な条件でさ、
と思えることを、
味方側にも敵側にも設定するのだ。

その「万全でない感じ」が、
リアルであればあるほど、
その噛み合い方、噛み合わなさ方が、
リアルであればあるほど、
ゲーム的な安易な展開にならないだろう。

怪我しか使えないバカなスポーツ漫画でなく、
リアリティのある、
「万全でない戦い」になるに違いない。

人間は凸凹している。
都合も凸凹している。
敵も凸凹している。
チームや集団は凸凹している。
万全の体制、万全の好機はない。

その、幾何学的に整っていない感じの攻防がうまくつくれれば、
リアリティは増すだろう。


状況は常に万全ではない。
そして向こうも万全ではない。
そこに、
決断と行動と、どう転ぶかわからない、
現実らしい、物語らしい面白みが出てくる。
posted by おおおかとしひこ at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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