戦いは、双方が100%の実力を発揮して、
双方がフェアに全力を出し切ることなど稀だ。
それは漫画やゲームの中だけだろう。
リアリティとはつまり、
万全でない状態で戦わないといけないことで、
確保できる。
スポーツ漫画における「怪我」は、
これを実現させる為の小道具だ。
しかしあまりにも安易に使われるものだから、
「また怪我かよ」と、
単なるストレス的なデバフに見えることが多い。
そもそもスポーツとは闘争のゲーム化である。
フェアな条件で始めることを是とする。
だけど現実はルールで定められているわけではない。
自分ところに派遣された部下は使い物にならず、
上司はバカで逃げ腰で、
予算は理想の1/10で、
ついでに雨まで降ってくる。
状況はゲームを始めるに値しない状態だ。
それでもこの戦いをクリアしなければならない。
現実なんてそんなものだ。
だから、
そういう風につくるのだ。
ゲームはいいよなあ、対等な条件でさ、
と思えることを、
味方側にも敵側にも設定するのだ。
その「万全でない感じ」が、
リアルであればあるほど、
その噛み合い方、噛み合わなさ方が、
リアルであればあるほど、
ゲーム的な安易な展開にならないだろう。
怪我しか使えないバカなスポーツ漫画でなく、
リアリティのある、
「万全でない戦い」になるに違いない。
人間は凸凹している。
都合も凸凹している。
敵も凸凹している。
チームや集団は凸凹している。
万全の体制、万全の好機はない。
その、幾何学的に整っていない感じの攻防がうまくつくれれば、
リアリティは増すだろう。
状況は常に万全ではない。
そして向こうも万全ではない。
そこに、
決断と行動と、どう転ぶかわからない、
現実らしい、物語らしい面白みが出てくる。
2023年11月17日
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