この問いはとても難しい。
内面の観察は難しいからね。
今書いてる部分をAとする。
すでに日本語の形になって待機してる部分をBとする。
その先の、まだ日本語にはなってないが、
イメージや何かの形で考えがある部分をCとする。
考えてること=Aのみのとき、
人は快適を感じるだろう。
考えてること=A+Bのとき、
Bの量にもよるけど、
手がもつれてるというか、
多少イライラを感じながら書いてるかな。
考えてること=A+B+Cのとき、
出力が遅れているため、
BやCを忘れることもあるだろうね。
この渋滞や蒸発をなくしたくて、
僕はキーボー道に入ったんだろう。
で、たぶん、現在は、
考えてること=A+Cという感じになってきた。
つまり、
日本語文字渋滞は解消され、
思ったこと即日本語になるため、
キーボード自体に文句はなくなりつつある。
しかしこうなると、
純粋な(言葉以前の思考)をしながら、
それを言語化するという、
本質的に別の作業が、
同時進行してるなーと気づく。
Aという日本語化をしなければ、
他の人に伝わるものはできないが、
本心としてはCだけをやりたい感覚。
思考入力はできない、
と思う根拠がここなんよね。
イメージはCからAを直接吐き出してほしいはずだけど、
一対一対応じゃないから、
Chat GPTのようなものを間にかますとして、
正確な表現まで落とせないだろうね。
おおまかな事はあってるが、
こんな表現を使うつもりはなかった、
みたいな文章が出来上がった時、
それは俺が書いたと言えるのか、みたいな。
A(ないしB)からAへの写像ならば、
思考入力はできるのかな。
でもキーボードの方が速そう。
で、僕はおそらくCに全力を傾けたくて、
AやBに関わりたくないんだと思う。
だから、
負荷の強い清濁別置系は自分では使えないと思っている。
思ってるだけで使えるかもしれない。
A+Bだけを、思考と取るなら、
入力と思考の関係は簡単だ。
そうじゃないところに、厄介さがある。
僕は脳内を楽にするために、
脳を圧迫しない薙刀式を使ってる感じだな。
2023年11月23日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック