2023年11月26日

仏教が我々に溶け込んでいる

先日のコメント返しで気づいたんだけど、
案外仏教の考え方が、
古典的な物語に随分と溶け込んでるなあと。

たとえば。


・因果応報
悪いことをしたやつはいずれ回り回って報いをうける。
たとえ主人公が出来なくても、他のやつが報いを与えることがある。
これはよくあるパターンだ。

逆にいいことをしたやつは、
誰からか施しを受ける場合もある。

直接ではなく、巡り巡った、というのが、
伏線を使えるし意外なところからが可能なので、
物語と相性がいいよね。


・信賞必罰
巡り巡ったものでない場合、
ストレートな信賞必罰になる。
これは人が与えるもの、因果応報は何か別の力が働くもの、
と区別すればこれは仏教ではない。

人がやらなくても罰を受けたら、仏罰なんだよね。
大体雷が落ちて全焼するよな。


・輪廻転生
生まれ変わっても、とか、前世が、というやつ。
来世に持ち越しだな、とかも。
○○の生まれ変わり、という「僕の地球を守って」は、
80年代ものすごい前世ブームを巻き起こしたよなあ。


・因縁
現世のことでも遠い因縁があったり、
前世からの因縁もあったりする。
不良は現世で関係のない人に無理矢理因縁を結ぶのだな。
運命というとロマンチックだが、
因縁というとブルースだ。


・地獄へ堕ちろ!
そもそも地獄というのは仏教だね。
ゴートゥーヘルなども含め、
およそ宗教のあるところ、似たセリフはあるのだろうか?
(誰か研究して)

「冥土の土産に聞かせてやる」も最近聞かないなあ。


・極楽ゥ〜
極楽も仏教の概念ではある。
ヘヴン〜っていうとクスリっぽい。
昔某政党のCMで、おじいちゃんが銭湯に入って「極楽ゥ〜」
って言わせたら、「宗教行為なので」とNG食らったことがある。
「宗教?!」ってびっくりしたなあ。


・他力本願
自力では救われないから、他力(阿弥陀仏)による救済、
というのが本来の意味だが、
「ごめんだれかやって〜」くらいに使われている。


・山籠り、滝行
もともとは密教、修験道ですね。

・呪い、お札
密教、修験道。

・コックリさん
修験道。狐霊の使役。


・悟りを開く、開眼
これも普通に使われる言葉だけど、
釈迦由来だね。
逆に仏教のない国ではこれがないのかな?

開眼は「覚醒」なんかに置き換わってるかもね。
これは脳にオーバードーズするクスリっぽいよな。


・以心伝心
これももともとは仏教。悟りの手前ですな。
「言わないでも伝わる」のは、村社会とともにある。
「これ以上は言わなくてもわかるな」は、
ほとんど脅しだけどね。

某Jは、Jを辞めた○○を主演に使ったPに、
「使うのは構いませんが、よくお考えになって」
と以心伝心の脅しをかけたそうな。


・守護霊
これは神道のご先祖様の考え方かな。
神仏習合の結果、よくわからんごった煮になってるね。

・信心のお陰で助かった
即物的なことは仏教はやらないので、
本当はおかしいが、ごった煮の結果だろう。


・餓鬼
これも仏教ですな。

・クソ坊主
大体禿げてる人にいう悪口。

・心の綺麗な人には動物が寄って来る
厳密には仏教的ではないが、
少なくとも仏陀の逸話ではある。



などなど、もっとあるだろう。
物語というのは日常に溶け込んだこうしたものを、
うまく尖らせて利用するわけだ。
だから物語に極端に現れやすい。

とくに室町〜江戸にかけては、
仏教説話といって、
仏教の教えを物語に溶け込ませて普及させることがはやった。
なので、日本の物語の伝統に、
そもそも溶け込んでるんだよね。

これらのものは説明なしでデフォルトでつかえる。
仏教じゃない国の人はちんぷんかんぷんかも知れないなあ。
posted by おおおかとしひこ at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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