2023年11月28日

なぜ神の図像は上半身が多いのか

雑談。

もちろん全身像もあるけど、
風景の中に神が現れたような絵
(山の向こうとか地平線の向こうに)って、
上半身だけが描かれることが多い。

これって「東京湾に現れたゴジラ」同様、
下半身が埋まってしまってる
(水面下に足があるのなら、
もっと高い位置に現れるはず)現象だ。

これは、「絵的に嘘をついて迫力を出す」
こともあるけれど、実は人の無意識に関わることではないか。
かつて巨人仮説を出したことと同じ議論をしてみたい。


以前議論した、
「なぜどの民族も巨人伝説をもっているのか」
に関する答え。
「それはもちろん巨人族が実際にいて、
我々の遺伝子にその記憶が残っているのである」
という仮説はオカルトで面白いんだけど、
僕はそうじゃないことに気づいたんだよね。

それは、
「誰もが幼少期の記憶があり、それを忘れている。
幼少期に見た大人たちの世界は、
巨人たちの世界であった」ということ。

これが「覚えてないけど覚えてる記憶」だから、
無意識に「かつて神は巨人であった」
みたいなことと結びつくのでは?
という仮説だ。


さて、神の図像だ。
上半身のみで、
なぜか下半身は地面に埋まってる絵が多い理由。
それは、「乳児の記憶」では?ということ。

つまり、母親の胸、顔、手という大昔の無意識の記憶に、
絵を描く時にアクセスしているのでは?ということ。
「全能の神のイメージ」=乳児期に母に抱かれていた記憶、
という仮説だ。

下半身に注意がいっていない理由は、
「それが存在しない記憶だから」だと思う。
母の胸に抱っこされてるとき、
乳児の注意力は上半身で、
母親の腰や下半身が存在すると思ってもいないだろう。


僕のいう上半身だけの神の例。
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↑下半身正座しないと立てないよねこれ。
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↑膝ですら地平線に埋もれてるかも。
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↑土手の向こうに下半身があるのだろうか。
もちろんこれは顔を強調したいのはわかる。
問題はなぜ顔と手と上半身か、というもとの問いに戻るわけ。
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↑写実になればなるほど、滝をつくって辻褄を合わせないといけない。
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↑これも下半身が埋もれてると思うな。
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↑こういうファンタジー系では、手前の人が高いところにいる設定にならざるを得ない。
そうじゃないと下半身埋もれるものね。
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↑ワンピでも同様。
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↑巨神兵はそもそも下半身が崩れているが、その無意識はなにかみたいなことだよね。
まだ立つことを知らなかった(足の感覚のない)、
乳児の記憶に基づいたなにかでは、
という仮説である。
posted by おおおかとしひこ at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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