2023年11月28日

【薙刀式】と新下駄とqwerty

と、みっつの配列を比較経験した方の感想。
https://x.com/hama1200/status/1729183589345239202?s=20


新下駄は言葉の速度にムラがある、
というのはある程度使った人じゃないと分からない感想で、
興味深い。

おそらくだけど、さらに使い込んでいけば、
慣れて平均化されるかもしれない。

僕の感想だけど、
新下駄はたくさんのパターンの運指をマスターする必要があって、
それらに全て慣れないと、
本来のスペックが出なさそうな気がするんだよね。
だから僕の貧弱な運指パターンだと、
使いこなせなかった気がする。

そこに慣れるまで耐えられるかで、
新下駄を手足のように使えるかが決まる気がする。


一方薙刀式は、
僕の貧弱な運指パターンでも、
使いこなせるほどの想定なので、
どの単語も平準化してるんじゃなかろうか。

苦手な流れにあまりならないように、
手ごねしてあると思われる。

あと濁音同置だから、
連濁のとき運指同一性があり、
それも運指パターンの安定性にひと役買ってるだろう。


> ただ「もう」とか打つ時にシフトキーを一度離さないといけないのは、僕の環境のせいかめんどくさい。

以下センターシフトを【】表記すると、
「もう」は【K】L。【KL】だと「もつ」。

連続シフトのシフト離しを面倒、難しいと考える問題は、
飛鳥配列の頃からあろう。
これは、押しっぱなしだと連続シフトできるメリットの、
裏の部分だ。
原理的にしょうがないトレードオフなので、
これを飲むか飲まないかだと思う。

コツとしては、親指離しとL押しをずらし押し的なタイミングで、
一連の動作として覚え込むことかなあ。
離しもひとつの打鍵だと考えると、
やりやすくなるかもだ。
裏拍みたいな感覚かなあ。


連続シフトをしない配列だと、
原理的にこのことは気にしなくて良い。
その代わり、シフト文字はすべてシフトをかけなくてはいけない。
だからシフト文字が連続しないように、
新下駄では配置されているはず。
ひょっとすると新下駄の特定の単語で遅くなる現象は、
シフト文字の連続かも、と予測してみる。

まあ一長一短ですわな。

薙刀式の連続シフトをオフにして、
都度都度親指との同時打鍵にすることは、
原理的にはできる。
ただ親指がバタバタしそうだなー。

親指シフトの嫌いなところは、
都度都度親指と同時押しするところだったからなあ。



まあこのへんは、
何が好みなのか触ってみないとわからないので、
こうやって感想を言い合うことはとても大事で、
自分はこう考えるがこう考えて感じる人もいる、
と、絶対化せずに相対化することが大事だと思う。

そうすれば、
こう考える人、こう感じる人、
これを大事だと考える人は、
○○配列がいいんじゃないか、
逆にこれが無理な人は○○配列はやめとけ、
などのサンプルがどんどん溜まって行くはずだ。

今のところ配列沼では、
そのようなセオリーが出来るほど、
たくさんのサンプルがあるわけではない。
複数の配列を渡って比較する人が少ないためだ。

(多くの人は、一つで満足するか、
いずれ辞めてしまうのかな。
継続して観察してる人は少ない気がする。
あるいは、結局qwertyに戻ってしまうのかも知れないが、
「冷やし中華はじめました」は書くけど、
「やめました」は書かないため、
追跡できないんよね)



さて、故郷?のqwertyの比較だ。

この文章を読む限り、
qwertyでもいいんじゃないか、とこの方は思っているようだ。
どの配列であれ、
習得の大変さのコストはあるから、
手馴染みがqwertyにあるなら、
故郷に帰って安心するのかもなーと感じる。

故郷はベストではなく、故郷に不満だらけではあるものの、
故郷は安心する的な感想があっても良いと思う。
武者修行とは、自宅の庭の青い鳥を見つけることであった、
というオチもあるくらいだし。


この文章を読んで、
そもそも僕が抱えていたqwertyへの不満の本質は、
「どの言葉も似たように打てないこと」
だったのだな、と感じた。

教室のクラスがあり、
言葉たち(文字ではなく言葉単位)がそこの生徒だとすると、
僕は誰もが仲良くして、
誰もが等しくあるべきだと考えているようだ。

ところがqwertyだと、
原理的にそれは不可能だ。
運指パターンの難しい言葉がたくさんあり、
運指パターンの難易度と言葉の難易度があっていない。
僕は日本語を書きたいのであり、
指パターンを組み合わせたいのではない。
運指パターンが日本語にあっていないqwertyが、
だからおかしいと考えている。

それは、思考と指が比例しない気持ち悪さなのだ。


薙刀式が目指したのは、
無意識的に、言葉が互いに仲良くすることだ。
苦手を減らすために、得意が我慢してる箇所もあるくらい。

だから結果的に、
日本語の難易度と、指の難易度があってて、
指が消えることができる。

日本語のリズムと指のリズムが合うと、
振動が消失するみたいな。


そのシンクロに、
新下駄はもう少しかかり、
qwertyは永遠に合わないのだと考える。

僕はものを書きたいのであって、
タイピングをしたいのではない。
タイピングには、消えて欲しいまである。



僕は、僕の思考様式を相対化するまで、
他人の思考様式を観察して比較したことはないが、
これらのことから、
自分の脳のリズムは、薙刀式のような、
どの言葉でもバラツキなく打てるような、
言葉の共産主義みたいなものを要求してるらしい。

だからこそ、qwertyを蛇蝎のように嫌っている。


そうでない人は、そうではないのだろう。



人にはたくさんの思考様式があり、
たくさんの肉体のリズムがあろう。

自分にぴたりと合うものでなければ、
不快で、そのうち書くことをやめてしまうだろう。

僕はずっと合わない靴を履いてて、
外反母趾になったことがあり、
その靴をやめてからとても自由になった。
纒足はだから、人間の自由を奪う最悪な行為で、
僕にとってのqwertyはそういうものだったわけだ。

それらに気づけるのは、
配列を変える行為だけだ。



物書き、物書きになりたい人、
あるいは書くことが苦手な人こそ、
配列について考えるべきなんじゃないか。

このことについて、
日本人はなんら無自覚で無議論である。
日本の凋落は母国語のIT困難さのせいだ、と、
陰謀論めいてこの記事を終わろう。

もちろん、フリックのほうが気軽でIT困難ではないから、
日本ではLINEとTwitterが流行ったんじゃない?
ちなみにこの記事は今フリックで書いている。

ただフリックは長文がめんどいよね。
この記事が長文かどうかでいうと、
僕にはスナックレベルだけど、ほとんどの人は、
ここまでフリックで一気書きしないだろうな。
posted by おおおかとしひこ at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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