と極論してみる。
ほんとうに人々が、新しいストーリーを求めているのだろうか?
たぶん違うと思う。
いや、ほんとうには新しいストーリーを求めているんだけど、
自覚していないと思うんだよな。
だって、
いまだに勧善懲悪やヒーローものは面白いし、
それを逆手にとったダークヒーローも面白いし、
片思いの話は面白いし、
三角関係の話も面白いからね。
悪いことしたやつを暴いてく話も面白いし、
怖いものに追いかけられる話も面白い。
悲しい過去を背負った人の悲劇も面白いし、
苦労してついに勝利をつかむ話も面白い。
人々がこれらに飽きて、次のまったく新しい形のストーリーを求めているとも思えない。
人々が喜ぶストーリーにはいくつか型、原形があり、
それらと同じものか、せいぜいアレンジを求めているに過ぎない、
といっても過言ではない。
いや、まったく新しいパターンなのだ、
は時々ある。
たとえば「メメント」というストーリーの逆行する話は新しかった。
あるいは語る順番をバラバラにする「パルプフィクション」なんかの当時は新しかった。
でも鑑賞後は、これらはふつうのストーリーが中にあることが分っている。
つまり、時系列を起きた順番に並び替えることが出来て、
そうするとまあ類型に入る普通の話かな、
になる。
ある時から急にループものが流行ったことがあり、
これも新しいパターンだった。
しかし、ループするストーリーは、
結局「因果から逃れられない」みたいな宿命を描くことしかできなくて、
たいていバッドエンドになるため、
それにも飽きてしまったよね。
つまり、新しいストーリーが出ると、
そのパターンは模倣され、消費される。
人々が、その「新しいパターンをよこせ」と言っているわけではなく、
「新しいぞ、面白いぞ」に反応しているだけとも言えるだろう。
で、それは滅多にないから、
それが新作に要求されることはあまりない。
出てきたら消費するぞ、でしかないわけだ。
つまり、人々が普段求めているものは、
それではない。
じゃあ何かというと、
わかりやすく「新しいキャラクター」ではないかと思うんだよね。
まったく新しい人が彗星のように登場して、
人気者になる確率はかなり低い。
毎年何人芸能人がデビューするというのだろう。
どれだけのユーチューバーがデビューして、
消えていくというのかねえ。
宝くじと似たようなものだろうね。
だから、
大抵は「すでに人気の実績がある人」が、
「人気のまま出る」か、
「ちょっとアレンジして出る(〇〇役に挑戦!)」
で、
人々を呼ぶわけだ。
「なるほど、それなら期待できそう」というものは、
つまり、
知っている人のちょっと違う感じ、
でしかないということだ。
まったくの新人や、まったくの新しいストーリーのパターンは、
それがどれだけ良くても、
期待される内容には入っていないわけ。
にもかかわらず、
本当に魅力的な新人が出れば大爆発するし、
まったく新しいストーリーが出てきたら、
新鮮で真似されまくるわけ。
このコントロールは難しいよね、
という話をしようとしている。
「それは確実に儲かるんですか?」
という投資者に対して、
この新しい要素をプレゼンしても保証できないだろう。
だから、保証になりやすい、
人気芸能人の新規キャラクター、
という面が強調されて、
昨今の映画はつくられてきた。
だからこそ、
似たようなものばかりになり、
冒険が少なく、つまらなくなっている。
逆に、新しい何かをつくる実力や体制が少なくなっているともいえる。
だからこそ、
新しいストーリーが潜在的に求められているはずだが、
それは宣伝内容としてとても難しい。
妥協でできるのは、
新しい世界観だろうか。
見たこともない映像は、
CGの発達によって可能になった。
だけどもう「大体見た」に飽和しつつあって、
新しい表現なんてほとんどなくなっている。
じゃあ、なんなんだろう。
僕は、
「コンセプト」がよいと考えている。
つまり、
「これはこういう映画です」というのが、
強い一行で示せるタイプのやつだ。
何がいいかというと、日本語でそれが言えるところだ。
「転覆して上下が逆になった沈没船から脱出するんです」
というコンセプトは「ポセイドンアドベンチャー」である。
こういう感じが「面白そう」というワクワク感があるわけ。
ちなみに、リメイク版じゃなくて、オリジナル版を見たほうがよい。
オリジナル版には、
神の信仰の話や、自己犠牲の話が絡まり、
命とはなんだろう、と考えにふけるような、
人間たちのサブプロットが豊富である。
コンセプトはパニック脱出劇なのに、
その本体は人間ドラマになっている、
というのがこの映画の優れたところで、
まったく新しいコンセプトが人を引き、
中身の人間ドラマが満足させる、
という構造になっている。
満足するのは人間ドラマなのに、
人はそれを欲しいと言えない、
というのがこの話の本質である。
だから、
キャラクター、シチュエーション、コンセプト、
どれも一発で伝わる何かを、
持っていることが、
押しが強くていいよ、
ということを言おうとしている。
これを用意するのは、
脚本家の仕事だろうか?
僕はよくわかっていない。
ある中身、ストーリーを、
こうしたガワで装飾することが、
売りを考えるプロデューサーの仕事だと思っているが、
そんなことを考えている人はあまりいないようだ。
(ほとんどの人は、「売りの要素が入っているか/入っていないか」でチェックするだけの、
チェック要員でしかないことがある。
それが効果的に機能しているか/していないかすら、
チェックしていないこともある)
なので、
僕は脚本家がそこまで考えたうえで、
つくりあげるべき、
だと最近は考えている。
両方作るのはなかなか難易度が高いが、
だからこそ、逆にできたときによいのだ。
ということで、
コンセプトが一番求められているのだが、
まずはキャラクターが求められていることを知ろう。
魅力的な新キャラクターさえ脚本にいれば、
それは売りになっていくぞ。
シチュエーションやコンセプトは誰でもつくれるが、
キャラクターやストーリーは脚本家しか作れない。
どんどんオリジナルで魅力的なキャラクターをつくり、
それらを新しいコンセプトで表現できるような、
ストーリーをつくるのだ。
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2023年12月01日
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