2023年12月08日

大人になってからの「山月記」は沁みる

というツイートを見かけたので、
青空文庫で読んでみた。
つらい…
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html
10〜15分くらいで読める。
むしろ読み終えた後の気持ちの整理に時間がかかる。


なぜ我々はこの話を読み、
心が抉られるのだろうか。
大人になるとは、
このようなことを隠すことなのだろうか。

人生の後半、
我々は人生の前半とは異なる生き物になってしまうのだろうか。

妻と子よりも詩歌を先に心配した李徴は、
自分のことを自覚的によく理解している。

そしてその生涯をかけた詩が、
第一流にはどこか足りていないことが、
胸を打つ。


山の頂点の席は少ない。
山の頂点は死骸の上に立っている。

これはそんな頂点以外の物語で、
頂点以外の人の方が多い。

この小説が文学足り得るのは、
この「醜い自意識」を「人喰い虎に変身する」にしたところだろう。
たったそれだけの仕掛けで、
単なる私小説ではなく、
抉る会話劇に仕上がっている。
カフカの「変身」を引くまでもなく、
変身の本質のひとつだね。


名文のひとつひとつが沁みる。
苦いコーヒー、苦いビール、苦い煙草は、
大人しか味わうことができない。

「その声は我が友李徴ではないか?」は、
ネットミームでよく出てくるが、
こんなに辛い物語であったとは。

短編とはかくあるべしの見本。抉る角度がすさまじい。
posted by おおおかとしひこ at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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