自作キーボーダーたちは、
打鍵音打鍵音と、音にこだわる人が大変多い。
しかし僕は打鍵音の話をほとんどしたことがないと、
気づく人も多いだろう。
カフェでうるさ過ぎなければなんでもいいと思っている。
なぜなら、僕は集中すると音がなくなるタイプだから。
脳内発声がないことと繋がってるのだろうか?
僕は昔から集中すると音が遮断される。
中学の頃「ラジオを聞きながら勉強する」
なんてのが流行ったのだが、
僕は勉強すると何も聞こえないし、
ラジとを聞くと勉強できないしで、
ながら勉強が困難なことに、薄々気づいていた。
集中すると音が消えると本格的に気づいたのは、
浪人時代で、
河合塾大阪校のうるせえ食堂で、
僕はよく自習してたんだけど、
その時にそのうるさい話し声が聞こえてないことに気づく。
あ、今音が聞こえてないな、
と集中からフォーカスを外すと聞こえる。
また集中すると消える。
どうやらそういうタイプみたい。
だから、音楽を聞きながらだと集中できるとか、
よくわからない。
ない方が集中できるじゃん。
音楽があることでノイズが消えるから、
そういう効果かなとも思うけど、
そもそもノイズのない無音空間に僕はいるしね。
なので、打鍵音も実は僕は聞こえていない。
もちろん、集中せずとも書けるような、
ライトな文章なら聞こえてる。
でもすっとどこかで無音になる。
代わりに、僕は触覚は消えないみたい。
たとえば足を組んでる感触とか、
靴がキツイキツくないとか、
襟がキツイキツくないとか、
打鍵感(触感)は、維持されているようだ。
つまり僕の思考とは、
聴覚は無音世界で、
視覚は集中するその内容7割、
3割くらいは書いてる文字に、
触覚はオンのままで、
味覚嗅覚もオフ、
という世界のようだ。
視覚と触覚で、僕は思考している。
だから打鍵感のほうが僕にはクリティカルで、
手触りこそが文字と一対一対応、
思考と一対一対応っぽい。
ペンの書き味が僕にとってクリティカルなのは、
そういうことらしい。
それで20代のころ、ぺんてるの中性ペンに辿り着き、
以来20年以上同じブランドを使っている。
これに匹敵するキーボードでなければ、
僕の思考はダメダメになる。
だから僕は、
HHKBもリアルフォースもNiZも気に入らなかった。
触感が悪いからだ。
なので、
その触感をもとめて、
自作キーボードで工夫を続けている。
今のところわかってる条件は、
・軽めの押下圧(アクチュエーション20g、ボトム30g)
・リニア
・擦れ感がないこと(ウムピエより摩擦係数の少ないHPE)
・打鍵感がクリアであること
な感じ。
最後の条件は、共振ノイズを取ればいいのでは?
ということを考えて現在模索中。
で、
これだけ触覚にはこだわるくせに、
聴覚には何一つ無頓着なのは、
そもそも聞こえてないからだな、
なんて考えている。
たぶん、みんなそうではないだろう。
無音世界を僕はつくることができて、
その集中状態には2秒でいける。
つまり打鍵音は2秒しか聞こえていない。
2秒は極論かな。でも5秒もないかもな。
人と比べて特殊なことには、
なかなか人は気づかないものだ。
今の今までこれを黙ってたのか、
と他の人から見たらそうなのだろうが、
僕はそういえば、と今になって思ったわけで。
脳内発声のある人は、
パーティーのようなザワザワした場所で、
自分の声が一番大きいような状態なのかな。
だから打鍵音もその一要素になるんだろう。
想像だけど。
で、僕の無音空間には、
脳内発声のあるローマ字系が邪魔なんだよね。
qwertyローマ字→カタナ式と来た時には、
それしかないもんだと思ってたから、
うるせえなあと思いつつ打鍵していた。
けれどカナ配列(下駄、飛鳥、新下駄)を触った時、
脳内発声がなく静かだったので、
カナ配列はいいぞ、という話をしはじめて、
現在に至るんだよね。
こうした僕の特殊?思考様式と、
キーボードとの関係があると思う。
この話はもっと他の人と意見交換したほうがいいのかもね。
デフォルトは人によって違うはずで。
読む…脳内発声なし
書く…脳内発声なし、ただしローマ字は脳内発声あり
集中…音なし、視覚と触覚のみの世界
と僕の場合まとめられる。
2023年12月17日
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