2023年12月18日

人間の本質は〇〇である

〇〇の中に色々入れてみよう。
多分、一杯できると思うよ。


人間の本質は悪である。
人間の本質は報酬である。
人間の本質はビールである。
人間の本質は友情である。
人間の本質はわがままである。

なんでもいい。哲学的に行ってもいいし、冗談になっても構わない。

で、これって、
いくらでもテーマができる、ってことなんだよね。

これに応じて、色々なストーリーを考えてみよう。
それでかなりバリエーションがつくれると思うよ。
もしそれが書きにくかったら、
悪役のテーマをそれにして、その逆を主人公サイドのテーマとして、
悪役のテーマを否定するかたちのストーリーにしてもかまわない。
つまりアンチテーゼになるわけ。

人間の本質は〇〇である、
にたった一つの〇〇はないと思われる。
だからこそ、
こういう適当な形式で書くことで、
色んなテーマを編み出すことができる、
というわけだ。

何作も書いていると、
ともするとテーマが固定化してしまうことがある。
それを作風とか、作家のテーマと呼んでもいいのかもしれないが、
いつも見ている人からすると、
「またこれか」って飽きられてしまう、
ということでもある。
自分はこのテーマしか書けないなあ、
なんて思ってしまうことだってあるしね。
それはつまり、
「自分が楽して書けることしか書いてない」
から起こる行き止まりだともいえるわけだ。

だからもっと柔軟に、
適当な、
「人間とは〇〇である」ということを考えて、
いつもと別のテーマを発見すればいい。

人間の本質ってなんだろう?
色んな角度から考えられるよね。
なるべく別のものを思いつくために、
たまにはまったく別の角度から人間を見てみるとよいわけだ。
「人間とは」の部分を変えてもいいよ。
「社会とは」とか、
「村とは」とか、
「男とは」とか、「女とは」とか、
「金とは」とか、「仕事とは」とか、
「スポーツとは」とか、「政治とは」とか、
色々できるよね。
いくらでもバリエーションができる。
たとえば100個くらい書いておいて、
その中から書けそうなもの、
よくわからんけど思いついたものを書いてみると、
普段とは違ったアプローチでものごとを書けると思う。
それが変化球をもたらすし、
作風を広げることにもなるわけだ。

「俺の作風はこう」と決め込む必要はない。
作風になくても、面白いものを書けば成功なのだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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