弱点を改善して、より完璧なものを目指すか。
弱点など気にならないほどの、長所で魅了するか。
僕は後者であるべきだと考える。
どっちが魅力的か?で考えればすぐにわかる。
欠陥は直そう。
でも欠点や弱点や短所は、
直すのが難しいから今まで来たんだよな。
だから、長所を伸ばすよりも、
もっとエネルギーが必要だと思われる。
第一、仮に短所が直ったからといって、
長所はそのままなんだよな。
後ろ向きの努力じゃない?
ずっと辛い努力をして、
到達点が伸びてないのはむごいよな。
マイナスの努力だ。
コスパが悪い。
同じ努力をするなら、
リターンの取れる努力をしよう。
長所を伸ばすだけじゃなくて、
別の長所を増やしてもいい。
たとえばキャラクターが得意なら、
そのキャラの魅力をさらに増したっていい。
あるいは別の魅力的なキャラを出してもいい。
その絡みはさらに魅力的になるだろう。
キャラ以外でもいい。
プロットでも、どんでん返しでも、テーマでも、
セリフでもいいんだ。
これはいい、というやつの種類を増やすのも、
ポジティブな努力だ。
弱点を直すべき時は、
100点満点の枠組みが決まっていて、
どんなに頑張っても101以上がない時だ。
そういう時は減点がひびき、
みんな似たような加点だから、
減点の少ない方が勝つだろう。
でも枠組みなんてクリエイティブなことにはない。
枠組みをぶちぬく、突き抜けたものが求められている。
加点して加点して加点しぱなしのものが、
減点を振り切る。
僕がインド映画の一連を絶賛するのは、
そういうところだ。
突き抜けなければ映画ではない。
にも関わらず、
クソフェミやコンプライアンスやポリコレとかいってる。
減点法は、決まった枠組みから出られない、
閉塞そのものだ。
「RRR」は、フェミニズム的には最悪で、
人種差別的にも最悪で、
暴力的で、前時代的だ。
だから、ヒーローが輝くのだ。
ていうか、人類の社会というのは、
所詮は差別的で搾取的で暴力的なのだ。
それを認めない限り、物語は自由にならない。
コンプライアンスとか言ってるジャンルは、
いずれ滅びる。
そんなかしこまった世界ではない。
我々は河原者だろうに。
突き抜けたかどうかが、
唯一の評価基準だとしたら?
欠点を直してる場合じゃねえぞ?
もっと遠くへ飛べよ。
後輩の指導をするとき、
僕ぐらいだよな、「突き抜けてないからつまらない」っていう人。
「○○は表現的によくないから直して」って、
僕はほとんどいわないな。
2024年02月17日
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