ストーリーが書ける人の必要条件はなんだろう。
僕は、最低限「オチをつけられる能力」だと考える。
僕が短編でよいので、
たくさん話を書け、100本書け、
などと言っている理由はこれだ。
オチをつけ慣れろ、ということを言いたいのだ。
どんなに面白そうなシチュエーションを思いついても、
どんなに魅力的なキャラクターを思いついても、
どんなにセリフがうまくても、
どんなに展開や構成が見事でも、
ストーリーを書いたことにならない。
オチを毎回確実に落とせる人が、
ストーリーを書ける人のことである。
面白げな冒頭も、
見事で意外な展開も、
面白げな世界観も、
すべてオチがつかなれけば、存在しないのも同然だ。
逆にそれらが生きてくるのは、
オチがあり、完成したストーリーになっているからだ。
昨日秋葉のファミレスにいたのだが、
BL作家同士がしゃべってて、
オチがまったく出てこない、という悩みを話していた。
それが完成しないと書いたことにならない、
という意識はあるようで、
でもオチが出てこないから書けない、
と嘆いている。
相談に乗ってもいいのだが、
BLのプロットはやったことがないので協力出来ないかもしれない……笑
逆に僕は、
「オチが出てこない」という感覚が分らない。
なぜオチも決めずに走り出したのかが分らない。
走り出す前に、なぜゴールを決めていないのかが分らない。
あるいは、ゴールが決まらないから走り出せない、
という悩みかもしれない。
(詳しく聞く気はしないが)
むしろ、オチなんて最初に決めるものだ。
あるシチュエーションを考えて、
解決する場面を次に考えて、
振りとオチの関係をまずつくるところからだろうに。
生物の発生は、
まず細胞が分裂して膜をつくり、
それがくるっとまるまって端がくっついて円筒形になり、
それが伸びて、腸になるらしい。
一方は口で一方は肛門だと。
つまり、口と肛門は、セットでペアで誕生する。
そしてそれは生命の発生のかなり初期から存在する。
このように、
導入とオチは振りと落ちという関係性で、
ストーリー発生初期の頃から存在する。
逆に、
それがないのにストーリーだと思って作り始めたものは、
ストーリーじゃないものをストーリーだと勘違いした、
「間違いのスタート」だった可能性が高い。
たとえば、
キャラクターと世界観だけつくって、
事件を発生させたはいいが、
オチは決まっていないとか。
たとえば、
魅力的な導入をつくったが、
キャラクターはやりながら作るしかなく、
だからいまいち魅力もなく、
ストーリーの展開もオチも決まっていないとか。
そんな感じ。
そういう作り方では、たぶん一生ストーリーをつくれないと思う。
たまたまうまいこと出来る時もあるが、
それはたまたまだ。
偶然を引いたにすぎない。
我々ストーリーテラーは、
たまたまに頼らずに、
技術的に毎回出来るように出来るべきだ、
という話である。
部分から発生して失敗するのではなく、
導入とオチは両方同時に、最初にできなければならない。
そのあとに、キャラクター、エピソード、
事件や解決の詳細、世界観、各種設定、
サブプロット、
などの順番(多少異同があろう)でつくっていくものだ。
細胞の発生の順番がある、ということだ。
もちろん、
色んなディテールによってもっと良いオチを思いつくこともあり、
それをオチにしてもよい。
最初に決めたものを絶対的に固守する必要はない。
しかしそれもオチAからオチBに変わっただけであり、
オチが思いつかないというわけではない。
選べばいいだけだからね。
オチが色々あり得て迷うー、なら分るが、
それは思いつかないこととは関係ない。
ベタなオチしかないからつまらない、はあるかもしれない。
それで行けると思った過去の自分の甘さを恨むことだ。
こういう試行錯誤をするのに、
短編をたくさん書くことはとても練習になる。
オチと全体の関係を考えやすいからだ。
オチはつまり、最初にできている。
オチも思いつかないで書き始めるやつはいない。
それくらい、基盤にいるものだ。
オチを何か付け足しのようなものだと考えている、
「オチが思いつかない」なんて、
要素を一個考えるレベルに落としているかもしれない。
気の利いたやつを何か思いつけばいいんでしょ、
的な。
それでは一生オチからつくることは出来ないと思う。
オチは全体の構造の下にいて、
オチが変れば全体が変ってしまう、
ということに気付くことだ。
オチは行く末の未来ではなくて、すでに決まった過去なんだよな。
だからオチとは既定路線なんだよ。
既定路線だと気づかれないように書かれているのが、
うまいオチなんだな。
2024年02月18日
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