俺には才能がないんだ、
ときにそう思い、落ち込むことは多々あるだろう。
まあそれで落ち込むことはない。
そういう意味でいうと、才能の要素よりも、
物語にはデカい要素があり、
そっちが欠けているほうがつまらなさの原因になる。
僕は、それは、
「どれだけその題材に真摯に向き合ったか」
だと考えている。
どんなに才能があったとしても、
その題材を適当に扱っていては、
面白いものなど出来はしないと考える。
その題材において、
世界初、一番真摯に取り組んだ人が、
そのジャンルで優勝する、というふうに考えている。
だから、手垢のついた題材はつまらないのだ。
仮に、
新しい魚がみつかり、
おいしい料理法を考えるチャンスが訪れたとしよう。
そのときに、
その魚に一番真摯に取り組んだ人が、
その魚を一番うまく食える料理に、
辿り着くんじゃないかな。
それは努力もあるし、
天性のひらめきもあるに違いない。
しかし、
「その魚を一番よく知っていること」が、
「その魚を最も有効活用すること」だと思うよ。
偶然、天才による調理法が発見されるかもしれないが、
最終的にその魚を一番旨く食う方法は、
その魚を一番よく知っている人が考えた料理になると思うな。
だから、
才能がないと嘆いている暇があったら、
その題材について、調べ、真摯に考えることである。
足りない部分があったら勉強して、
関連することすべてに詳しくなることだ。
嘘をつくには、本当を知らないといけない。
そのことに一番詳しいやつが、
本当と嘘を混ぜながら語れるのだ。
才能があるとしたら、
そこに辿り着ける速度のことかもしれない。
愚鈍でもいつか一番詳しくなればいいのさ。
最終的に面白いのをつくれれば、
誰も才能がないなんて言わない。
何かを指摘されて、
「そんなことは考えもしなかった」ってやつは、
その題材について真摯に取り組んでいなかった証拠だ。
もっと視野を広く深く、見聞を広く深くして、
その題材に関するすべてを知ることだ。
そして、
それらを踏まえて、嘘を効果的に作ることだ。
その後ものすごい面白い嘘になるかは、才能が左右するけれど、
結構面白い嘘かどうかは、地固めで決まるよ。
2024年01月01日
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