ストーリーというのは、
オチが冒頭に絡んでいると、落ちやすいのであった。
起承転結でいえば、結は起と関係して、
落とすと落としやすい。
言葉を変えれば、
事件は結論の伏線そのものだといえよう。
なぜ起と結をつなげると、
話が落ちた感じになるのかは、よくわからない。
けれど、
「最初からその結論に辿り着くために、
一番最初にその伏線を張っていたのか」
というのはもっとも納得度の高い決着だ。
「話が終わる」とは、
まさに最初からやってきたことの帰結、
という意味で、
そこに最初にあったこととラストが関係してくる、
というのはとても自然だろう。
ただブツッと切れておしまいとか、
なんとなく後半の展開をまとめておしまいだと、
あんまり納得をしないと思う。
なんだ、終わりか、レベルだと思う。
「最初からこの結論に至るために、
綿密に準備されていたとは……!」
が、一番感銘を受けると思うんだよね。
ストーリーというのは、
事件とその解決である。
ある事件が起こって、その解決に乗り出し、
なんだかんだあって、
最終的にその事件が解決するわけだ。
そしてその解決(や過程)に、
何かしらの意味があったことが、結論だと言える。
何も意味のない話はつまらない。
ただの日記とか記録に過ぎない。
それが意味を持ったときに、
ストーリーになるのではないかとすら思う。
で、二つの話を総合すると、
最初の事件そのものが、
解決から結論の伏線になるわけだ。
「なるほど、そういうことだったのか、
だから最初からそうなっていたのか」
という納得のために、事件はあるわけ。
もちろん、
事件というのは、
何もしらない観客をストーリーに引き込むための、
魅力的な入口である必要がある。
ツカミだね。
こんな事件が起きた、どうする?とか、
これは面白い事件がやってきたとか、
そういうツカミとしての役割が事件にはある。
しかし、同時に、
結論への伏線になっていないと役割を果たせない、
と逆算できる。
だから、
冒頭は難しいのである。
そもそもツカミとしてぐいぐい引き入れるためのものになってなければならないし、
最終的には、それが結論と関係して、
だから最初にそうだったのかー、
という伏線になっていなければならない。
その冒頭から結論に至るまで、
一本の線になっていて、しかも円環になっているぞ、
というのが理想だ。
複数の役割をきちんと果たせる、
面白い事件が必要なのだ。
なんとなくオープニングを思いつける人は多いと思う。
魅力的で引きの強いツカミになるオープニングは、
ひらめきとともにやって来る。
しかし、
その事件は、結論への伏線になっているだろうか?
もちろん、結論を先につくっていないと、
この冒頭がそうなっているかどうかのチェックができない。
逆からストーリーはつくる、
というのはそういう意味である。
単に、何もないところに「あっ」と思って、
オープニングをつくっても意味がないのだ。
もちろん、魅力的なオープニングはそうやってしかできないので、
あっと思いついたら、
それはどういう結論のためのオープニング?
と次に結論を考えて、
事件と解決と結論をつくり、
すべてが揃うかどうかを検討するとよいだろう。
あとは登場人物や解決のための中盤を考えていくことになるだろうが。
そういうわけで、
ただ冒頭を思いつけばいいわけではないのだ。
事件を考えることは、かように難しい。
簡単に思いつけるだけに、
そのことに気付かずに走り出して、
ふさわしい事件になっていないことに、
あとあと気づくことだろう。
まあそれは何回も失敗して、学んでいくしかない。
回数をこなすことは、だから大事だ。
成功したり失敗したりすれば、
違いが自己分析できるだろうからね。
2024年02月22日
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