昨今成功体験という言葉は、
「かつて成功した体験で判断してしまい、
過去と現在の状況が違うくせに判断できない、
誤った感覚」であるように、
マイナスの使い方をされることが増えてきた。
それ以外の成功体験の話。
ウメハラの話が面白かったので貼っておく。
https://m.youtube.com/watch?v=cka25mXL2GI
スト2やったことない人でも、なんとなく分かる話にはなってる。
あることの成功体験があると、
「トンネルの長さを相対的に考えられる」
というのが要約になるかな。
成功体験があると、
「こんくらいは頑張らないと成功しないよ」
を体感としてわかってるので、すぐに撤退しない。
失敗の回数を見積もれるという風に表現してもよい。
そしてその失敗は、
成功体験がない「これくらいの頑張りでええやろ」に比べて、
べらぼうに多い。
弊社の新規プロジェクトを見ていると、
一回失敗したらすぐやめちゃうのよね。
だから、「一回で失敗しないもの」を次で選びがちになる。
それじゃ多くのリターンが取れなくて、
「ワントライで行ける距離」までしかコマを進められない。
そしてその距離は年々縮む。それですら失敗するから、
どんどんビビるようになるわけ。
15回くらい失敗してもOKくらいにならないと、
会社的プロジェクトってうまく行かないんじゃないの?
二ヶ月に一回試行するとしても、二年以上待つレベル。
「今それをやる体力がない」と、会社がいうなら、
もうその会社は成長点がないと思うな。
まあ、会社はいいや。
俺たちは個人で伸びればいい。
俺だって小説が書けるようになるまで十年くらいかけたよ。
そんなもん。
あるプロデューサーが言ってたんだけど、
「何かでテッペン取った人は、
努力のやり方をしってる」って。
テッペンはこの際なんでもよくて、
日本一である必要もなくて、クラス一位でよく、
かけっこ一位とか、テストで100点でいいって。
もちろん京大合格とか全国大会優勝ならさらに価値がある。
でも大事なのは、
一位を取るからにはやるべきことを、
わかってるか分かってないか、ってことだな。
テッペン取ってない人は、
努力の量に嫌気がさして、不安になって、
自分じゃ無理だと自分で降りちゃうんだろう。
テッペン取った人は、
まだトンネルが長いだけだと思ってるんだろうな。
弊社は成功体験がないので、
いずれダメになるなーと感じてて、
弊社と関係なく俺はテッペンを取らないとなー。
ということで、
正月休みに100本プロットとかやってみるといい。
自分がいかに100やる能力がないか、
思い知る体験になる。
たった3行プロットでもいいぞ。
100人組手の完遂は、必要な努力の量を知ることができる。
自分は遊んでただけだとわかるだけでも、
やるべき体験のひとつだ。
仮に挫折してもいいよ。死ぬわけじゃない。
三ヶ月後や半年後にまたトライすればいいだけの話。
自分の今を知るのにちょうどいい。
未開部族の成人式みたいなもんだね。
その努力をしてない人は認めない、となると、
そこにいる大人は全員努力の量を知ってる人たちになるよね。
社会の維持の最適化の知恵みたいなもの。
過去の成功体験で現在を推定することは、
多くの場合間違ってない。
間違うのは、過去と今が離れすぎてるときだけだね。
過去と今がかなり違ってても、
人間の本質はたいして変わらない説もある。
おそらく過去の成功体験による判断で失敗したことを責める人は、
ものすごく失敗してない人なんだろうな。
一回で成功するわけないだろう。
15回くらいチャレンジさせてやれ。
成功ってそうやらないと得られないものだ。
15が15000の事例かもしれないし、
それは誰にもわからないんだ。
2024年01月02日
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