ひとつのテクニック、メモ。
展開部でもどこでもいいんだけど、
状況有利になってきて、
主人公の活躍が功を奏して、
成功しそうになるとしよう。
そのときに、わざと主人公に「行ける」と言わせてみる。
またはその逆で、
どうしようもない状況不利で、
主人公たちの行動が失敗して、
もうだめだという最悪の状況下で、
「ダメか」と言わせてみよう。
それは周囲の状況で明らかなので、
本来言う必要はない。
だからあとで削る予定でもよい。
でもとりあえず、「行ける」「ダメか」と、
わざと言わせてみるとよい。
そうすると、何が起こるかというと、
「行ける」のあとには急転直下、大失敗。
「ダメか」のあとには急転直下、伏線が効いてて大逆転。
だろう、ということだ。
つまり、
「行ける」で油断させるとよい。
それから最悪なことが起こると、「ああ」って思うじゃない?
それが展開の妙ということさ。
同様に、
「ダメか」は諦めて死の覚悟をすることだ。
これまでやって来たことが灰燼に化すその瞬間、
大逆転の潮目がやってくる。
もちろん、単なるラッキーだけじゃなくて、
これまで主人公たちがやって来たことに答えが出て、
そういう展開にならなければご都合主義だよね。
これで、上から下、下から上、
という最大の起伏が、つくれるというわけだ。
もちろん、
「行ける」とセリフで言って無理があるような、
中途半端な成功のムードではだめだ。
これはいけるな、と誰もが思うような、
順風満帆の展開である必要がある。
だからこそ主人公は自然に「行ける」とつぶやくのだ。
ここから転落することが起伏の面白さだから、
行けると思わせるだけの、
最大にラッキーを描くといいだろう。
そして油断して、最悪に転落して、
起から伏へ行くのだ。
逆も同様だ。
伏線を忘れさせるほど前のやつをあとで使うとして、
ちょっと前の伏線を使ってもなおダメ、
みたいな絶体絶命を描かないかぎり、
「ダメだ」とは言わないだろう。
そうなって初めて、大逆転が面白くなるわけだからね。
つまり、
「行ける」「ダメだ」と主人公に呟かせることは、
起伏をきちんとつくる方法論だと思うとよい。
起から伏へ、伏から起へ、
というように、上下をきちんとつくっているか、
ということのチェックに使える、
というわけだ。
だから行き過ぎた調子よさを描いて、
「行ける」と言わせればいいし、
まったく何もできない最悪の最悪で、
「ダメだ」と言わせるべきだろう。
そう言わせたくなるように、
状況を追い込め、というのがこのメソッドの目的だ。
で、ちゃんとそれが出来たら、
そのご都合セリフ、説明ゼリフを、
カットしていいよ。
そうしたら、
最高のムードからの大転落、
最悪からの逆転、
に流れがなるだけの話さ。
意図的にそれをやっていると、
起伏がいまどうなっているか、
意識することが出来るぜ、
ということである。
調子のいい時ほど、
なんらかのアクシデントが起こるよね。
最悪の時ほど、以前にやったことがいま効いてくる。
そういう風に、
起伏をより激しくつくっていくことだ。
2024年02月25日
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