2024年02月29日

何もかも対比的に

主人公と敵は、対比的なほうがよい。
コントラストがあるほうが、立つからだ。
たとえば。


先日の記事で、愛しかたが違う、というのは書いた。
それだけじゃなくて、
どんな下らないことでも対比的であるとよい。

明るい性格と暗い性格、
赤い服が好きなのとモノトーンが好き、
背が高いのと低い、
デブなのと痩せているの、
裸眼とメガネ、
長髪と短髪、
黒髪と茶髪や金髪、
運動神経抜群と運動音痴、
歌がうまいのと音痴、
何やらせても器用なのと不器用、
こしあん派とつぶあん派、
うどん派とそば派、
都会育ちと田舎育ち、
兄弟姉妹と一人っ子、
インドア派とアウトドア派、
ジャンプ派とマガジン派、
やりちんと童貞、
などなどなど。

なんでもよいから、対比的にしておけ。
本編に描かないものでもいい。
こしあん派とつぶあん派なんてめったに使うことはないだろうが、
でも和菓子の何かでもめることになるかも知れない。
旅館に泊まったときに何か揉めるかもしれないし。

本編で全部使わなくていい。
しかし、
「本質的に相いれない」ことを表現するのに、
これらの1〜2個が使われるなら、
それもいいことだ。
どこかでイラっとして、こいつとは一緒にいられない、
と生理的に思う原因になるかも知れないわけ。


物語において、
敵は敵である必要はない。
目的が相いれないだけで、
別に仲良くできる可能性があってもよい。
しかし、
ほんとうに相いれないんだなあ、
ということを描いて、
殺し合いをするしかない、
というところにもっていってもいいんだぜ。

ギリギリまで仲良くしようとしてたんだけど、
きのこたけのこ派閥の問題で、
決裂することになってもいいのだ。
(宗教は戦争の原因の一つだ)

殺しあわなくても、
こいつとは隣同士に座れない、
というくらいに、
そりが合わないようにつくることは全然できるだろう。


さて。
ここからが妙味だ。

「二人の男は何もかも違った。
対立するのは当たり前である。
だが、ただひとつ彼らには共通点があった」
とするとよい。

それがたとえば。
同じ女を愛した、
二人とも野球を愛した、
偶然同じクラスだった、
一人しか合格できない試験を受けることになった、
とかかな。

そうすると、
まったく対比的な二人なのに、
ひとつだけ共通点がある、
というエモい関係が出来上がるわけだ。

あとは、この二人を、
物語の中に放り込めばよいのだ。


物語とは、事件と解決のラインであった。
何かしら目的を与えて、
その二人の目的が互いに相いれないようにするとよい。

刑事と犯人でもいいし、
正義と悪でもいいし、
スポーツもののライバルでもいいし、
同業他社でもいいし、
三角関係でもいいし、
殺し合いをする部族長同士でもよい。

ストーリーにおいて、
違いに立場が異なるもので、
対立するときは、
なるべく対比的になっているほうが、
コントラストがついてわかりやすくなる。

それを目的としてこのように設定してもよいし、
キャラが動きやすくなるように、
自分の中で設定してから、
プロットに入ってもよい。

あるいは、
ざっくり第一稿を書き終えた段階で、
この二人はもっと対比的であるべきだな、
と考えて、
最初から設定を練り直してもよい。
その設定を使えば、
もっと対比的なキャラクターが生き生きとなるだろう、
という判断が出来るだろうね。


最終稿で、
対比的なキャラクターが、反目しあって、
対決すればいいだけのことである。


そのコツとして、
何もかも対比的にしておく、
というテクニックがある、
ということだけを覚えておくとよいだろう。
posted by おおおかとしひこ at 06:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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