2024年03月01日

感情をつくるために設定をつくる

ドラマにはなにが必要か。感情だ。
でもすぐにドラマティックな感情は、
すぐにはでてこない。
そのために設定をつくるのだ。


AとBの間に感情を起こそう。
それがドラマの起動力になる。

嫌いだ、でも好きだ、でもいい。
納得いかない、でもいいし、
許せない、でもいい。
あほか死ね、でもいいし、
猛烈に尊敬する、でもいいだろう。
とにかくなんらかの感情を描くことを目的としよう。

そのために何が必要?
設定だ。

なぜAはBのことをそう思うのか、
逆にBはAのことをなぜそう思うのか、
理由があるはずだ。
その理由を設定として創作するのだ。

単に性格や好みの問題もあろう。
それ以上に強い感情にするには?
過去にいろいろあったかもしれない。
それで感情のもつれがあるかもしれない。
原因は現在ではなく、過去にあることが多い。
それをつくることも設定である。


つまり、
設定とは、単にその人がどういう人物か、
だけをすることではなく、
その人物が持つドラマ上の感情をつくるためにある。

なんでその人がその人を許せないんだっけ。
ああ、そういう過去があったからだな、
という風につくればいいわけだ。

あるいは、どうも合うのは、
こういう感性が似ているからだ、
という設定をつくればいいわけ。

設定を、感情の理屈的な説明に出来るようにつくればいいわけだ。

感情こそがドラマの駆動力なのだが、
その起因としての設定をつくればよい。


設定からドラマをつくるのではない。
ドラマのために設定を裏打ちしておくのだ。

感情は理屈から発生するのではないが、
感情を説明するには理屈が必要だ。

その理屈を、設定として明記しておくといいわけだね。
「なんとなく嫌い」「理由もなく好き」は、
現実にはあるが、
フィクションにはない。
すべて説明できることが前提だ。
(そういう風につくられているからこそ、
納得するのだ。納得できないフィクションはつまらない)


さて。
感情があるとどうなるか。
行動する。

行動の動機になるからだ。
嫌いならば避けたり、殴ったり、迫害したり妨害したり殺したりするだろう。
好きならば近づいたり、協力したり、助けたり、告白したりするだろう。
動機があって、行動があれば、
結果があるものだ。
成功したり失敗したりするだろうね。
その連鎖が物語だよね。

もちろん、大目的(センタークエスチョン)はある。
でもそれだけではドラマではない。
ドラマとはコンフリクトであった。
つまり、
人と人の間にあるのだ。
逆に、
大目的のコンフリクトを、
人と人の間のドラマによって表現することが、
ドラマの書き方である。

(正義と悪という抽象概念の対決を描くのではなく、
正義のヒーローと悪の大王という、
具体的な人同士の対決として描く。
善が人を救うことを描くならば、
善人と善を信じない人という具体的な人の対決で描く)

つまり、ドラマには、
設定→感情→行動→結果
という4つの段階があるわけだ。

結果を受けてまた感情が湧き、
次の行動になって、
行動と結果は連鎖していく。
状況が変ったら、設定も変わるだろう(ターニングポイント)。
感情が変るかもしれない(ターニングポイント)。

コアになっているのは感情だ。
それを後ろから支えるために、
設定をつくっておくのだ。
「そりゃそういう設定なら対立するよな」
なんてことが出来ていたら、
主人公と敵には十分な設定と感情がある。


設定をつくって感情をつくるのではない。
物語に必要な感情をつくるために、
設定は逆算でつくるものだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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