ある強烈な思いから、
物語は生まれることが多い。
その「行けるぞ」という感覚で書き始める人もいるだろう。
だが注意されたい。
それは観客にとってはスタートではなく、ゴールである。
あなたの強烈な思いをAとしよう。
そのAは、
あなたの人生観や経験を反映したり、
何かしらのアイデアを表現していることだろう。
それこそが新しく、
あるいは時代にぴったりで、
あなたがどうしても描きたい情熱の芯になることだろう。
それはテーマにもなりえる。
Aという考え方が広まったら、世の中よくなるはずだ、
という確信があるかもしれない。
だから書き始めることになったのかもしれない。
だから、あなたの中のスタートがAである。
あなたはAというものを普及させたくて、
プロジェクトをスタートさせたのだ。
それは出発点、原点ですらある。
ところが、これを観客の側から見たら、
知ったこっちゃないんだよね。
あなたの中のAなんかどうでもいいんだよ。
それと関係ない人生を生きていて、
あなたの主張を聞いている時間はない。
「Aは素晴らしいのだ、
なぜ世の中はAにならないのか?」
とそんな人に説教したって、
知らんがな、にしかならない。
ここにずれがある。
作者はAからスタートしているが、
観客はAを知らない。
よくある間違いは、
「Aという素晴らしいものを知ったら、
すぐさまAは素晴らしい、Aが広まる」
と思い込んでいることである。
ほんとうにそうだとしたら、
CMで見るものを人は全部毎回買うはずだ。
そうではないことには二つの理由がある。
「それが本当かどうかよくわからない」ことと、
「それが本当だとしても関係ない」ことだ。
そういう人たちに、
「Aなんだ! Aが最高なんだ!」と思わせるには、
どうしたらいい?
それは、「Aをゴールにする」ことだ。
Aだとそもそも思っていない人たちに、
反論をうけつつ、そうだな、Aだな、
と思えるまで、誘導していくことだ。
あなたがなぜAだと思うに至ったか、
その体験談を話してもよい。
いやBでしょ、と思う人用に、
明確な反論を用意してもよい。
やり方は問わないが、
少なくとも求められるものは、
「Aでない所から出発して、Aにゴールすること」であり、
決して「A起点で考えること」ではないはずだ。
つまり、
あなたはAをプレゼンしないといけない。
あまりにもAが素晴らしいからといって、
「結論から入ります。Aはすごいです。QED」
で済ませては、
世の中のどうしようもない情報に埋もれ、
何も残らないだろう。
そうじゃない。
そうじゃないと思っている人を、
最終的にAに誘導できるような、
長くて面白いものをつくらなくてはならないのだ。
多くの間違えた広告はこれをやっている。
Aがすごいよ、Aの特徴はこれ。
バカじゃないかと思う。
それが本当かどうかの検証も、
それに反対する人の価値も、
何も考えていない。
まあ、バカは一生何億もかけてやってD通を儲けさせればいいけどさ。
Aはスタートではない。
ゴールだ。
その道筋こそが、
ストーリーである。
ということは、
Aの逆から始めればよい。
そして、最終的に、Aはすごい、これは最高、
にもってくるとよい。
もちろん、それがしびれるほど面白くなくては、
誰も見向きもしないだろう。
あなたは何を言いたいんだ?
あなたを突き動かしている価値観はなんだ?
それを広めたいのか?
それからすべてが始まっているのか?
それをスタート地点にしているから、
間違っているんだぞ。
そこへ連れていくにはどうしたらいいかを考えるんだ。
順番が真逆になっているんだぞ。
あなたは結果からものを見ている。
観客は違うところから、そこへ向かうのだ。
否、向かわせる。
否、面白いものを見ているうちに、
自然とそのような結論になってゆく。
それが面白い物語である。
2024年03月04日
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