2024年03月04日

あなたの思いはスタートだが、観客にはゴールだ

ある強烈な思いから、
物語は生まれることが多い。
その「行けるぞ」という感覚で書き始める人もいるだろう。

だが注意されたい。
それは観客にとってはスタートではなく、ゴールである。


あなたの強烈な思いをAとしよう。
そのAは、
あなたの人生観や経験を反映したり、
何かしらのアイデアを表現していることだろう。

それこそが新しく、
あるいは時代にぴったりで、
あなたがどうしても描きたい情熱の芯になることだろう。

それはテーマにもなりえる。
Aという考え方が広まったら、世の中よくなるはずだ、
という確信があるかもしれない。
だから書き始めることになったのかもしれない。

だから、あなたの中のスタートがAである。

あなたはAというものを普及させたくて、
プロジェクトをスタートさせたのだ。
それは出発点、原点ですらある。


ところが、これを観客の側から見たら、
知ったこっちゃないんだよね。
あなたの中のAなんかどうでもいいんだよ。
それと関係ない人生を生きていて、
あなたの主張を聞いている時間はない。

「Aは素晴らしいのだ、
なぜ世の中はAにならないのか?」
とそんな人に説教したって、
知らんがな、にしかならない。

ここにずれがある。

作者はAからスタートしているが、
観客はAを知らない。

よくある間違いは、
「Aという素晴らしいものを知ったら、
すぐさまAは素晴らしい、Aが広まる」
と思い込んでいることである。

ほんとうにそうだとしたら、
CMで見るものを人は全部毎回買うはずだ。

そうではないことには二つの理由がある。
「それが本当かどうかよくわからない」ことと、
「それが本当だとしても関係ない」ことだ。

そういう人たちに、
「Aなんだ! Aが最高なんだ!」と思わせるには、
どうしたらいい?

それは、「Aをゴールにする」ことだ。

Aだとそもそも思っていない人たちに、
反論をうけつつ、そうだな、Aだな、
と思えるまで、誘導していくことだ。


あなたがなぜAだと思うに至ったか、
その体験談を話してもよい。
いやBでしょ、と思う人用に、
明確な反論を用意してもよい。

やり方は問わないが、
少なくとも求められるものは、
「Aでない所から出発して、Aにゴールすること」であり、
決して「A起点で考えること」ではないはずだ。

つまり、
あなたはAをプレゼンしないといけない。

あまりにもAが素晴らしいからといって、
「結論から入ります。Aはすごいです。QED」
で済ませては、
世の中のどうしようもない情報に埋もれ、
何も残らないだろう。

そうじゃない。
そうじゃないと思っている人を、
最終的にAに誘導できるような、
長くて面白いものをつくらなくてはならないのだ。


多くの間違えた広告はこれをやっている。
Aがすごいよ、Aの特徴はこれ。
バカじゃないかと思う。
それが本当かどうかの検証も、
それに反対する人の価値も、
何も考えていない。
まあ、バカは一生何億もかけてやってD通を儲けさせればいいけどさ。


Aはスタートではない。
ゴールだ。
その道筋こそが、
ストーリーである。

ということは、
Aの逆から始めればよい。

そして、最終的に、Aはすごい、これは最高、
にもってくるとよい。

もちろん、それがしびれるほど面白くなくては、
誰も見向きもしないだろう。


あなたは何を言いたいんだ?
あなたを突き動かしている価値観はなんだ?
それを広めたいのか?
それからすべてが始まっているのか?
それをスタート地点にしているから、
間違っているんだぞ。

そこへ連れていくにはどうしたらいいかを考えるんだ。
順番が真逆になっているんだぞ。

あなたは結果からものを見ている。
観客は違うところから、そこへ向かうのだ。
否、向かわせる。
否、面白いものを見ているうちに、
自然とそのような結論になってゆく。
それが面白い物語である。
posted by おおおかとしひこ at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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