いっぺんに食べきれないなら、包丁で切って、
食べやすくするのだ。
リライトでありがちなことは、
最初はシンプルで分かりやすかったのに、
リライトを重ねるごとに複雑になり、
その軽快なシンプルさを失ってしまうことだ。
スピード感があり、想像の隙間があったものが、
どんどん目詰まりして、鈍重になっていくリライトを、
してしまうことがよくある。
これは、各方面に目配りした結果であったり、
シンプルすぎて不安になった作者が、
複雑なことをやって堂に入っている自己満足であることが多い。
単純なものよりも、
複雑怪奇な絵のほうが技巧的である、
のように勘違いするわけだね。
それは、「うまくやってやった」「苦労したから」
という自己満足とも関係していると思う。
だけど、
ほんとうによいものは、
シンプルなものである。
だから、出来るだけ捨てられるところは捨てるべきで、
隙間を豊かにしたほうがいい。
だけど、
捨てることができないならば、
「切り分ける」という手もあるよ、というのが本題。
色々な要素が多くて、
一文の中にいろんなものがあるならば、
二文や三文に分けたほうがいい。
文を分けられなかったら、
このように句読点でブロック化すればよい。
一気にいくのではなくて、切り分けていくと良い。
何かの解説だって、前半部と後半部を、
まったく違う場所に置いてもいいのだ。
全部一気に解説せず、
直後に使うときに、使う分だけ解説すればいいのだ。
そんな風に切り分けて使うと、
全体としては複雑なシステムなのだが、
部分で見るとシンプルでわかりやすいものになるわけ。
15秒でおしまいではない、
二時間の映画なのだから、
複雑なものは15秒ずつに切り分ければ済むわけだ。
(もちろん15秒が絶対ではないよ)
小出しにしていくのとはちょっと違うかな。
独立した要素に分解しろ、
ということに近い。
小出しだと「つづき」みたいになってしまうが、
別の要素の話だと、
「(続いてはいるが)新しい話題」だと認識する。
結果、
複雑性はあまり感じなくなる、
という仕組みだと思われる。
ある箇所に登場人物が固まっているなら、
切り分けて別々の場所に配置せよ。
ある箇所にテーマが集中するなら、
別々の場所に配置して、宝探しのようにせよ。
ある箇所に説明が多用されるなら、
別々の場面に分けられないか。
などのように、集中から分散を考えるのが、
手としてあり得る。
もちろん、単にカットしてもよい。
複雑なものより、シンプルでよいものが良い。
最悪はシンプルなのに詰らないものだ。
それは単にできていないだけの話だ。
それよりは複雑なもののほうが一見作り込んだすごいものに見えるが、
ほんとうにおもしろいのは、
それを上手に省略した、シンプルで深いものである。
2024年03月11日
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