2024年03月13日

複数の人物のストーリーライン

ストーリーは主人公一人の話ではない。
複数の人物の同時進行する複数の視点である。


三人称形式である映画シナリオでは、
この複数の人物の複数の視点が必要だ。
それは頭では分かっているのだが、
なかなか実践は難しい。
なぜなら、
ともすると一人称になってしまうからだ。

すなわち、
主人公しかこの世界にいなくて、
ほかの人物はモブ扱いになってしまう
(主人公とヒロインの二人ならセカイ系)とか、
主人公のメインプロットばかり追いかけて、
他の人物のプロットがほとんどないとか、
主人公の気持ちしか存在しなくて、
他の人物の気持ちがほとんど存在せず、
彼らはストーリーのためのロボットのように扱われる、
などになってしまいがち。

僕は、
主人公と敵対者の二人くらいは、
立った人物であるべきだと考える。
つまり、
少なくとも敵対者は主人公なみに感情や主体性があり、
それぞれ濃い話があるべきではないかと。

二人でいいか、となると、
やや少ないと思う。
映画だと5〜6人であるべき、
と僕は考える。
まあ主人公クラスは2〜3でよく、
サブだけどまあまあ描かれる人(事情や目的や感情移入や端緒から結末まで)は、
2〜4くらいいるべきであると。


俯瞰すれば、
地球には80億の人間がいて
(今調べたら80億と分った。60億くらいだったような。
そりゃ人口削減計画とか言われるわけよね……)、
80億のプロットが同時進行しているはずだ。
一人が複数のサブプロットを抱えているはずだから、
プロットの数は数倍に増えるだろう。

ストーリーとは、その一部を切り取ったものである。
見るべきものにうまく切り取った、
架空の同時進行するプロット群が、
物語である。

5〜6人の同時進行するプロットのうち、
もっとも問題を解決する人を、
主人公というだけに過ぎない。
だから、主人公はメインで扱われ、
他より詳しく扱われるだけの話だ。

この、俯瞰した同時進行する世界について考えていないのが、
一人称になりがち、
ということだ。
三人称で考えるのだから、
5〜6人の同時進行は想像しなければならない。

具体的には、
その人物から見たそのストーリーはどうなっているかを考えなければならない。
その人の事件は何か、結末は何か、
間に何が起きるのか、
動機は何か、行動は何か、その結果とターニングポイントは何か、
などについて、主人公ほど精度が良くなくてもいいが、
考えるべきである。

当然、キャラクター造形もだ。
(哲学や態度や過去などの、内的な造形ね。
見た目とかファッションとかじゃなくて。
もちろん、魂の入る依り代であるところの形は大事だ。
仏つくって魂入れずにならないように)


そして、レッスンとして丁度いいのが、
「敵方から見たこのストーリー」を想像することだ。

大体、悪の帝王から見たストーリーは、
「順調に行っていた世界征服計画が、
たった一人の雑魚と思われた者に阻まれ、
そのうち賛同者が沢山向こうに現れ、
何度潰そうとしてもそのたびに逆転され、
ついに本丸に乗り込まれ、殺された」
というものになるはずだ。
敗北者のストーリーだからね。

せっかく世界征服まであと一歩だったのに、
若造にやられるくやしさや、
何が間違ってたのか反省会をするべき内容になるはずだ。

こんな風に向こう側から見たこっちをつくっていないと、
主人公のことしか考えていない、
一方的な、複数の視点のない、
独りよがりな視点になるだろう、
ということを言っている。

もちろん、
同じ出来事なのに、各人物から見た解釈(その人なりの真実)は、
異なっていてよい。
それをうまく視覚化したのが「羅生門」だよね。
犯罪というモチーフを扱って、
各目撃者の言い分は全部異なる、
ということを繰り返す面白さだ。

これだけ極端な例でなくても、
同時進行する複数のプロットというのは、
そういうものである。
その人物から見たそのストーリーは、
全部違う色をしているはずだ。


また、各登場人物は、
一人では存在していない。

友人や恋人や家族や交友関係、過去世話になった人などがあり、
複数の人物に関係している。
だから、その人物周りの人を、
ストーリーに参加させることが可能だ。
こうすることで、
メインの登場人物の周りにサブが増えていく。
その人物の厚みを描こうと思うと、
周りの人物とのかかわりあいを描くべきだから、
どんどん登場人物は増えていくだろうね。

だが、それをどこかで打ち切り、
食べられる大きさに切り出さないとだめだ。
5〜6人がメインになる程度にしておかないと、
全体がややこしくなってしまう。
あまり登場人物が多いと、
主人公というメインが立たなくなってしまう。

(主人公が複数いるべきだ、という多視点系の映画はたくさん作られている。
しかし分ったことは、二時間という制限がある以上、
「小粒だな」だ。もっと主人公にがっつりフォーカスした、
骨太の物語が見たいよなあと思ってしまう)


主人公のプロットだけを考えていると、
こうした同時進行するサブプロットを考えないようになってしまう。
ストーリーを豊かにし、厚みを増すのは、
別の人物のサブプロットである。
(もちろん、主人公に複数のサブプロットを走らせて、
ストーリーを厚くすることも多い。
典型的なのは、仕事と恋愛の二本立てだね)

世界は複数の主体が複数のプロット(計画)を走らせている。
その中で主人公が最終的に勝利し、
問題を解決する。
それを俯瞰して眺め、
足りない部分をつくっていこう。

すべての人物の中から世界を眺め、
その中で主人公のプロットがもっとも面白いように、
作っていくのだ。
posted by おおおかとしひこ at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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