というものをつくることが、オリジナルをつくることだ。
まずは見た映画や物語から、
真似ることをやると思う。
たとえば、
「ロッキー」の最後にやり切って声援を浴びる感情は、
あの映画にしかない。
あの「感じ」をやりたくて、
脚本を書く人もいるかもしれない。
あるいは、
「ジョーズ」のような、
不気味で得体のしれない何かが潜行している恐怖感を、
描きたい人もいるかもしれない。
あの「感じ」こそが映画的である、
みたいに思っているかもしれない。
あるいはインド映画みたいに、
バカみたいに正直で勇気のある人々が活躍する様が、
映画的な感情だと思っているかもしれず、
それの再現こそをやりたいと思って書く人もいるかもしれない。
まあなんでもいいさ。
今まで見た名作の真似をしたいというのは、
人間の自然な感情だ。
だがしかし。
それは、あくまで拡大再生産にすぎないぞ、
ということが本題だ。
つまり、
今まで見たものを再現しようとしているだけだ、
ということに気付け、ということなのさ。
かつて見た面白いコント風なのを再現するとか、
かつて見た不条理なやつを再現するとか、
なんでもいいが、
それをやっているだけで満足してしまっていないか?
ってことなんだよね。
それをやって満足して、
「これがやりたかったことです」なんていわれても、
知らんがな、としかならないわけ。
なぜなら、
「すでに見たものの再生産に過ぎない」から。
私たちは、「新しい感情」を見たいのだ。
どんなによくできてたとしても、
「すでに見たものを真似したもの」はいらないのさ。
教科書の真似をすることまで出来て褒められるのは、
学生までだ。
プロはその先を考えなさい。
まだ誰も描いていない感情。
まだ誰も具体に落としていないもの。
それをこそ、
雪だるまの芯にして、
どんどん大きくすることだね。
2024年03月17日
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