2024年03月17日

ああ、これは来る感情だ

というものをつくることが、オリジナルをつくることだ。
まずは見た映画や物語から、
真似ることをやると思う。


たとえば、
「ロッキー」の最後にやり切って声援を浴びる感情は、
あの映画にしかない。
あの「感じ」をやりたくて、
脚本を書く人もいるかもしれない。
あるいは、
「ジョーズ」のような、
不気味で得体のしれない何かが潜行している恐怖感を、
描きたい人もいるかもしれない。
あの「感じ」こそが映画的である、
みたいに思っているかもしれない。
あるいはインド映画みたいに、
バカみたいに正直で勇気のある人々が活躍する様が、
映画的な感情だと思っているかもしれず、
それの再現こそをやりたいと思って書く人もいるかもしれない。

まあなんでもいいさ。
今まで見た名作の真似をしたいというのは、
人間の自然な感情だ。

だがしかし。
それは、あくまで拡大再生産にすぎないぞ、
ということが本題だ。

つまり、
今まで見たものを再現しようとしているだけだ、
ということに気付け、ということなのさ。


かつて見た面白いコント風なのを再現するとか、
かつて見た不条理なやつを再現するとか、
なんでもいいが、
それをやっているだけで満足してしまっていないか?
ってことなんだよね。
それをやって満足して、
「これがやりたかったことです」なんていわれても、
知らんがな、としかならないわけ。
なぜなら、
「すでに見たものの再生産に過ぎない」から。

私たちは、「新しい感情」を見たいのだ。
どんなによくできてたとしても、
「すでに見たものを真似したもの」はいらないのさ。

教科書の真似をすることまで出来て褒められるのは、
学生までだ。
プロはその先を考えなさい。


まだ誰も描いていない感情。
まだ誰も具体に落としていないもの。
それをこそ、
雪だるまの芯にして、
どんどん大きくすることだね。
posted by おおおかとしひこ at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック