これも一つの才能。悪役を立たせるためにいる。
悪役がひどければひどいほど、
主役の行動は立つというものだ。
悪役がどれだけひどいことをやるかで、
ストーリーの下が決まる。
下が暗いほうが上が光るというものだ。
どんなに主人公の行動が面白く価値のあるものだからといっても、
それは劇中の相対的な価値しかないので、
劇中での影と光になるようにしておくべきだ。
ということで、ひどい、悪辣な行為を考えられる人は、
それだけで才能があるといってもよい。
僕が生理的にキツイと思ったのは、
「告白」の、
先生がHIVに感染した血液を、牛乳の中に混ぜた、
というやつ。
うっかり飲んじゃうことを想像すると、
生理的な嫌悪感がすごいなあ、と思った。
考えた人は天才である。
それを絵の中で実際にしていないのに、
「した」と言われるだけで、生理的に来るからね。
拷問とかもそうだね。
実際の拷問を受けるよりも、
それを受けると想像したほうが嫌だったりする。
針の上に正座で座らされる拷問は、
想像しただけで痛くなるが、
「ついでに重たい石を抱えさせれる」という追加条件もきつい。
地獄を考えた人は天才である。
三途の川の石を積むやつもひどいよね。
せっかく積んだやつを鬼が蹴飛ばして、
また一からなんだぜ。
病むわ。(地獄だから死ぬことがないのがつらい)
こんな風な、
「現代の地獄」ないし、
そのストーリー内での地獄を考えだして、
悪役がそれをやる、というのを考えると、
それはよい創作になるだろう。
勿論、悪役が必ずしも存在するわけではない。
カッコイイ悪役がいるかもしれない。
しかし、
それは本当にひどいやつなんだぜ、
があるだけで、ストーリーはガラリと変わる。
ある犯罪組織がある。
麻薬を密売している、だと普通だな、となるわけ。
フィクションではよくあるだろ、となって、
あまりこの組織撲滅には身が入らない。
しかし、
風俗嬢に麻薬を売って資金を回収している、
そのために風俗嬢に落とす、みたいな組織だったら、
かなり嫌な気持ちになるだろう。
ついでに主人公の妹とか、親しい人が知らずにそこに落ちていたら気分が悪くなる。
だから、その組織の壊滅に快哉を叫ぶことになるわけ。
闇が深いほうが光はまぶしくなる。
じゃあ、闇をもっと深くしたほうがいいぞ、
という話。
ひどいことをどれだけ考えられるか、
という創作だってあるわけだ。
凄惨な世の中から目を背けている場合ではない。
全てはネタになる。
さて、ようやく本題だ。
そのひどいことは、アンチテーゼになるべきだ。
どういうことかというと、
主人公が証明しようとしている命題の、
逆であるべきだ、ということ。
純愛がテーマなら、悪役はやりちんである。
正義の弁護士がテーマなら、悪役は無法者か、
法律の抜け穴を生きる悪の弁護士だ。
(法律を変えてしまう政治家もそうだな)
その、悪の所業を「ゆるせん」となったときに、
テーマという光が当たるのだ。
それはnot Aである、Aであるべきだ、
となるわけだね。
ここが最もコントラストが強くなるから、
Aはテーマになるわけ。
「人生は何度でもやり直せる」がテーマなら、
悪役は「失敗は一度も許さない」であるべきだ。
「一杯のビールが人生を良くする」なら、
悪役は「禁酒法」または「アルコール依存症」であるべきだ。
そのアンチテーゼとしての、
「ひどいこと」「徹底的なこと」は、
なんだろう?
それを考えれば、
おのずと悪役の立ち位置はきまってくる。
2024年02月04日
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