世界初AIAV女優、木花あい。
そのデビュー作を見た。
AIによる生成画像をはじめ、
そもそもCGや合成技術はコンピュータのものだし、
映像技術の革新は日々起こっている。
そのAI技術でAVだって?
まずはこれを企画し、実行に移したスタッフの開拓精神に、
拍手を送りたい。
日本の映像技術の実験は、PDCAサイクルを回しやすい、
AVで先に行われることがほとんどだ。
ビデオデッキの家庭普及は裏ビデオとセットだったし、
3DもVRも360度もAVのほうが先駆者で研究が進んでいる。
ここに来て生成AIとコラボすることは、
映像技術の次なる進化を期待させ、
「ほんとに使えんのか?」という壮大な実験なわけ。
結論から先に述べる。
「我々はフェイクに興奮するか?」
という形而上の問題を突きつけられた。
これはCG映画が詰まらなくなってきたことと同じだ。
まずディープフェイク技術について議論し、
フィクション論を語りたい。
まず最初に情報を得た時、
「できんの?」って技術に詳しい人ほど思う。
3Dポリゴンモデルによってつくられた、
CGアイドル伊達杏子は微妙だったよなー、
不気味の谷がそこにあるだろうしなー、
なんてことを思う。
で、
「ディープフェイクにより、
身体は人間で顔だけすげ替える」
という技術だと知り、
なるほどそれなら行けそうと思った。
予告映像では絡みはなく、
立ったり座ったりしているものに対して、
ディープフェイクで顔だけすげ替えられてて、
うまくいっている様子だ。
だが、技術に詳しい人ほど、以下のような疑問がわく。
・横顔(たとえば立ちバック)は追っかけきれないぞ、
どうする?
・髪が被ったりするのはどうする?
全髪の情報をポリゴンで持ってるわけじゃないから溶けるでしょ
・そもそも男優の手や体が手前に被ったらマスク切らないと無理よね、
3Pとか無理じゃね?
・顔射も無理よね、精液のマスク切っても半透明だぜ、
それを3Dトラッキングするのは難しそう
・そもそも顔が半分切れたりなど、フルで顔が入ってないと破綻するでしょ
・正面顔→横顔なんかは追っかけきれないでしょ
・そもそもAVってワンカット長回しでしょ?
安定するの?
・目線はどこを見てるんだ?気持ちよさのあまり目を瞑ったら、
これも追っかけきれないよね
・喘ぎ声と口は連動できそう、ディープフェイクなら
・汗をかいたり、顔の紅潮は同じモデルを使う限り無理よね
・髪の毛が汗で張りつかないよね
・激しく体位を入れ替えるときなど、破綻が起きそう
・照明が変わりまくるような場所(窓際とかミックスライトのところ)
だとそれを反映できないよね
などを、
事前に思った。
ディープフェイク技術について簡単に触れる。
動画をインプットにして、顔をすげかえる技術である。
動画がインプットなので、
その動画の情報以上の情報を持っているわけではない。
その動画の中の顔を検知して、
顔の向きをトレースして(iPhoneの顔認証にも使われている)、
3Dスキンを変形して置き換える仕組み。
バーチャルYouTuber程度の3Dモデルなら、
リアルタイムで合成できるところまで来たが、
果たしてAVレベルは可能だろうか?
ディープフェイクはニュース映像などで効果を示した。
ある人がしゃべっているものを別人にすり替えるものでだ。
だがニュース映像だから、
ずっとカメラ目線で、ライティングは変わらない安定した場所で、
前に何かがかぶったり、
急に横を向いたり、カメラとの距離や角度が変わるものではないからだ。
安定してディープフェイクを使える条件がそろっていたといえよう。
さらに情報が入る。
「カメラ目線ファック」らしい。
なるほど、横顔破綻問題をこれで回避できる。
目線があさってを見たり、会話が成立しない不自然さは、
すべてカメラ目線ということでクリアだ。
この技術的判断は、かなりの問題を超えた。いい判断だ。
となると、ずっとカメラ目線で「持つ」必要があるため、
美人であることが求められる。
表情が豊かな愛嬌をつくることは、
ディープフェイクでは難しいため、
表情筋の少ない、クールビューティー系の顔になるはず。
なるほど、その顔面の選び方もよくできている。
僕は楓カレン(現田中レモン)の顔が好きなのだが、
そこに寄せてきたか。
ただ楓カレンは整形くさくて、
写真はいいんだけど、動いたらイマイチなんよね。
そうなるんじゃね?という予想をしていた。
さて、実際の所はどうだったか、
技術的検証をしよう。
・横顔(たとえば立ちバック)は追っかけきれないぞ、
どうする?
→横顔なし、正面顔のみ。カメラ目線にしたアイデアの勝利。
体位は顔を見せやすい、正常位、バック、騎乗位のみ。
・髪が被ったりするのはどうする?
全髪の情報をポリゴンで持ってるわけじゃないから溶けるでしょ
→前髪は常に安定、後ろ髪は人間のものっぽい。
でも常に男優が整えて、被りは一切なかった
(男優さんおつかれさまです)
・そもそも男優の手や体が手前に被ったらマスク切らないと無理よね、
3Pとか無理じゃね?
→一切被らないようにコントロールされてた、すげえぜカメラマン
・顔射も無理よね、精液のマスク切っても半透明だぜ、
それを3Dトラッキングするのは難しそう
→顔射はなく胸射でした。人間にならできるね
・そもそも顔が半分切れたりなど、フルで顔が入ってないと破綻するでしょ
→ここがすごかった。絶対フルで顔をアングルに入れて、
ディープフェイクしやすいようにしていた。
見切れそうなところは編集でカットする潔さもある。
最初の服を脱ぐあたりで一箇所破綻があり、
以後それをすべて避けたことがわかる。
カメラマンすげえ。
・正面顔→横顔なんかは追っかけきれないでしょ
→カメラ目線ファックの企画の勝利
・そもそもAVってワンカット長回しでしょ?
安定するの?
→顔が見切れるあたりでカットが入るので、
ワンカットではなかった。
ただし合成作業としてはおそろしく長いカットで、
CGでやるよりディープフェイクでやるほうがいいのはわかる。
・目線はどこを見てるんだ?気持ちよさのあまり目を瞑ったら、
これも追っかけきれないよね
→カメラ目線ファックで解決
・喘ぎ声と口は連動できそう、ディープフェイクなら
→良好。歯が白くてきれい
・汗をかいたり、顔の紅潮は同じモデルを使う限り無理よね
→当然無理でした、ずっと同じ顔が動いているだけ
・髪の毛が汗で張りつかないよね
→そんな激しいプレイでもなく、ノーマルな感じ
・激しく体位を入れ替えるときなど、破綻が起きそう
→ゆっくりのふつうめのプレイしかない。
デビュー作というのをうまく利用した。
そして激しいネタバレなのだが、
なんとプレイは一回のみ。
イメージ→脱ぎ→1プレイで終了。
全尺30分なかったんじゃね?
こんな短いAVひさしぶりだわ。
3本番が常識の昨今だと、3倍コストがかかると見ていいのかな。
まあこれ以上似たプレイでもなーという感じ。
・照明が変わりまくるような場所(窓際とかミックスライトのところ)
だとそれを反映できないよね
→非常に安定したスタジオライティングでした
ただ窓からの逆光を受けてる前半では、
いくつか浮いてるところがあり、
失敗した合成みたいになってたのはメモしておくか。
総合すると、
技術の範囲内ではかなり頑張っているほうで、
限界を限界と感じさせないようにして、
うまく処理してある職人的な技術も賞賛に値するといえる。
だが。
それが興奮するか?という、
最大の問題がある。
この興奮のしなさはなんだろう、
とずっと考えながら見ていたのだが、
ヒントは楓カレンにあった。
彼女、豊胸なんよね。
つまり、
整形や豊胸が目立つ人のAVを見ているのと同じ感覚になったわけ。
AVだけではない。
たとえば整形ってわかったあとの芸能人には夢中になれない感じとか、
ヅラだとわかった人に抱く気持ちと同じ感じ。
最初は嘘をつかれた怒りや裏切りを感じるが、
次第にそれしかなかったんだろうなあ、と哀れみを感じ、
まあ攻撃はしないよ、大変だろうけど頑張ってと励ます感じ。
そして、二度とは夢中になれない感じ。
リアルではない、嘘をつき続けている人に対して、
リアルサイドから見る気持ち。
つまり、どこまで行っても、
ディープフェイクは、
「フェイクに抱く気持ち」と同じだと感じた。
これは、映画にCGが使われはじめ、
最初はすごいと言われたものの、
今や「CGでしょ?」と冷めた目線を送られることと似ている。
結局、フェイクに、人は夢中になれない。
とくにAVはリアルであることを求められる。
演技で感じているとか、
本番のふりをして入っていないということはありえない。
「イッた」かどうか、演技であったらむかつくものだ。
少なくとも感じていることは本当でなければならない。
そこはこのAVでは一応担保されていた。
「中の人」が実際にイッたり、潮を吹いたりすることで、
保証されているような気がした。
だが、中の人が豊胸しているんだよな。
そこで、フェイクが二重になってしまったのが悔やまれる。
パイパンであることも拍車に輪をかけたかな。
全体的に「作られたもの感」がとても強い。
中の人がアニメ声だったのも失敗だろう。
AIの顔がクール系なのに、アニメ声で、
豊胸で、パイパンであえがれても、
どこが本当で、どこが嘘なのか、切り分けるのが面倒になってしまう。
ということは、全部嘘だしな、と、
極端に判断してしまうということだ。
フェイクとリアルは、このような関係にあると思う。
いよいよ本題の、フィクションとこれらの関係性についてだ。
フィクションは嘘だとわかっているのに、
リアルではないとわかっているのに、
なぜ我々は夢中になるのだろう?
そして、CGだとなぜ冷めるのだろう?
僕は「その人が真摯にやっていること」だから、
成立するのではないかと考えている。
たとえへぼいシナリオでも、
たとえ低予算でも、
「リアルな人がそこでそれが本当だと思って演じている」
ことが、
フィクションを信じさせる力になっているのではないかと思う。
つまり、
「どこかでこれを信じてないな」
と思ったらそこでフィクションは終わりなのでは?
ということ。
中の人が豊胸な段階で、嘘つきだなーと思った時点でそれは明らかだ。
中の人、ちゃんとAVやってないなーと思った。
CGはすごいけど、
それで嘘をつかれていると思ったら、
そこで終わりなんだよね。
それよりも、しょぼいCGだとしても、
本気でそれが存在していると思って芝居を続けていれば、
それはそこではそういうものだと思えてくる。
風魔のドラマは低予算だったが、
我々が見たドラマはほんものだった。
つまり、
フィクションとは、「見立て」なのだ。
その見立てが嘘っぽく成立してなければ成立していない。
それを見立てられるほどの材料がそろっていれば、成立する。
そのようなものではないかと思う。
その最低限の条件として、
「リアルな人がリアルにやっている」ことは、
わりと大事なんじゃないかと思っている。
つまり、どんなことをやっても、ライブアクションはなくならなくて、
それこそが我々がよって立つべき基盤であるということだ。
仮に人形劇をやるにしても、
手や足に、棒が見えているべき、だと僕は思う。
そこに、「動かしているリアルな人がいる」と分かるものであるべきだと。
それをCGや合成で棒を消して、世界をリアルに見せることには意味がないと。
だから、
AIによるディープフェイクは、フィクションになりえなかった。
「それがばれたら冷める」からだ。
フィクションは、
「それが嘘だとばれているのに、楽しめる」ものをいう。
じゃあ、その違いは何か。
ライブアクションで生で俳優が芝居していればよいか?
僕は、「文脈」のありなしだと思うんだよな。
木花あいには、ストーリーがなかった。
かわいい子が脱いでセックスするだけだ。
AIだから、単なるモデルで、
どういう背景があり、どういうつもりで出ているのか、
それがなかった。
もちろん、背景のなさこそがAI的だと判断して、
そのようにしたのかもしれない。
でもそれじゃあフィクション性が足りないんだよね。
前から興味があって、とか、
嫌いじゃないからとか、
彼氏のやり方が嫌いだったからプロに抱いてもらいたいとか、
欲求不満で、とか、
何でもいいから、
なぜここにきたのか、そしてどこへ行こうとしているのか、
というストーリーが欲しかったところ。
その創作こそ、
なんでもない物体に、
命を宿らせるものだと思うわけだ。
どこから来て、どこへ行こうとしているのか。
つまり、目的である。
木花あいには目的がなく、
ただセックスしているだけであった。
だから興奮しない。
リアルだと、目的のないセックスもあるだろう。
じゃあそういうドキュメントでもいいんだよね。
そういうAVもあるだろう。
だけどいったんリアルじゃない嘘の世界なんだから、
フェイクじゃなくてフィクションになるべきだったのさ。
アイドルは恋愛しないとか、そういうフィクションさ。
このAIがどう生まれたとか、処女膜はどうなっているかとか、
初めてのセックスかどうかとか、
初めてじゃないなら過去はどうだったかとか、
そういうものを「創作」していれば、
ちょっとは面白い見世物になったかも知れない。
これまで人形でした、企業のブースで笑ったり、
服の着せ替え人形でしか認められなかった、
だから思い切って脱ごうと思った、
とか、そういうものだよ。欲しいのは。
何かしらうしろめたいものがあり、これは他人に見せちゃだめなやつ、
そういうゾクゾク感がなかったのが、スリルに欠けたところだね。
たぶん、
あらゆるフィクションとは、
スリルを伴うものだろう。
それがほんとうにそこで起こってると信じられる、
スリルを体験するのだ。
木花あいにはそれがなかった。
勉強のために見ることをすすめる。
不気味の谷は関係なかった。
2024年01月18日
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