2024年01月20日

ヴィレヴァンが凋落している

近くにヴィレッジヴァンガードがあって、
ちょいちょい通ってたんだけど、
コロナで潰れてしまって、
尖ったサブカル最前線から遠ざかってしまった気がする。

そもそもそんな尖ったサブカル最前線は、
今ネットにあって物理世界にないような気もするけど、
なんだか寂しい。

自由が丘はかつて雑貨屋天国だったのに、
輸入小売はコロナで壊滅した気もしなくもない。

で、なぜヴィレヴァンが凋落したのか、
その分析が興味深い。


> POSレジって「5冊入荷した本が24時間以内に3冊売れたら自動的に2冊追加発注する」みたく売り逃しが減る素敵なシステム
https://x.com/pinkkacho/status/1748184201315406131?s=20

えー、そんなシステムがあるんだ。
知らなかった。
数学に詳しい人ならば、
そんなんすぐ収束するやん
(一色に染まりやすい)ってわかるのに。

昔東急の駅に、
ランキンランキンという店があり、
売り上げランク1〜10位までを多く仕入れてる店があった。
これも早晩潰れた。
なぜか。
雑貨屋の意味をわかってないからだ。

雑貨屋とは、
「ふつうでないものがほしい」人が、
通うところだからだ。

世の中には大量生産で、
効率が良く安全で便利なものが、
不足しないように流通している。

しかしその普通が嫌で、
私はその普通から逸脱したいという人が、
数%いる。
傾奇者である。

あるいは傾奇が単に好きというよりも、
「標準から外れている哀しみ」を背負った、
外れ者といってもよい。

そうした人間たちが集う、
アンダーグラウンドがサブカルであった。

ヴィレヴァンが発達したのは、
そのサブカルの流行と同じ時期である。

いまかつてのサブカルがメジャーになり、
傾奇者だけのものではなくなり、
サブカルそのものが消失してしまった気がする。

じゃあその数%の傾奇者、外れ者は今どこにいるか?
ネットかなー。
かつてはTwitterにいたが、
Xになって離れた人もいるだろうね。
とはいえマストドンとかブルーなんとかが、
サブカルかどうかまでは知らない。


そういえば映画好きもサブカルで、
TSUTAYAはサブカルのための店だった。
それがメジャーになり、
ネトフリなどにやられて凋落していった。

映画は今サブカル?
最先端ではない気がずっとしてる。
90〜2000年代はサブカルの最前線にいたが、
いま最前線じゃない気がする。


大量生産されるものには、
安全性や保証性がもとめられる。
少量生産で尖ったものには、
それは要求できない。
その代わり尖っていることを、
傾奇者ならば知っている。

映画やテレビがコンプライアンスとか、
ポリティカルコレクトネスとか、
SDGsとか言い出したとき、
ああ、ついに尖ったサブカルの最前線から、
一歩後退したなと僕は感じた。
一番尖った尖端にいないのでは?と。


そういえば、
尖端も尖端の自作キーボード界隈で、
メーカー品なみのサービスを要求して、
炎上した事件は記憶に新しい。

尖り者たちの集団に、
メジャー世界しか知らない者が迷い込むと、
その森を燃やしてしまうことがある。

そもそも外れ者は少し離れた森に、
ようやく居場所を見つけて、
その森で暮らしていたのに、
その森が大きくなって外部と接触するようになった途端、
森の常識が通用しなくなり、
メジャー世界の常識で燃やされる。

外れ者たちは、それを繰り返して生きてきた。

かつて映画も、漫画も、サブカルも、
自作キーボードも、
そうした森の突端にあったのだが、
外れてない人が流入してきて、
森は森でなくなったのかもしれない。

森の住人を増やしたいのはわかるけど、
多くを増やしてもこのような問題がある。
外れ者の人数は決まってる気がする。


ヴィレヴァンにPOSを導入した愚か者は、
拡大するためにそうしたのだろう。

僕はいまだに腹から理解してないんだけど、
なぜ商売は拡大し続けなくちゃいけないの?
借金をして利子をつけて返す仕組みが、
そもそも貨幣全体を質量保存せず、
拡大し続ける気がしていて、
数学的に発散するやんけ、と納得がいってない。

資本主義の原則にのっとれば、
ある店をつくれば、
それは拡大し続け、
臨界点で他人に譲渡して売り抜けて、
次の店の経営をするのが経営者らしい。
あとに残るのはぺんぺん草も生えない焼け野原。

つまり資本主義とは、つくってつぶすことだ。
資本家だけが太り続けて、
つくられたものはつぶれていく。

日本人はそれと異なる考え方である。
お店はインフラであり、
それが同じ商売を安定してずっと続けることを望む。

資本主義のような禿鷹炎上焼け野原ではなく、
ずっと回転し続ける恒久主義ともいえる、
会社経営を望むはずだ。

GoogleもAmazonもインフラになったが、
資本主義の原則によればそのうちダメになり、
誰かアホな人に譲渡され、
質が悪くなりなくなるだろう。
Twitterだってそうだった。

なぜ拡大し続けなくてはならないのか、
なぜ森を拡張しなければならないのか、
なぜ森は森で安定できないのか、
誰かおしえてくれ。



ヴィレヴァンはだから、
資本主義にのっとった。
だから凋落した。
資本主義にのっとるとは、
拡大から拡散をすることであり、
つまりは寿命を縮める行為なのでは?
と思う。

まあ、それは映画会社もフジテレビも、
同様の運命をゆくのかもしれない。
少なくともCM業界は衰退ルートに入った。
ここからかつてのようなエネルギーに満ちた作品群が出てくることはない。
若者はもうCM業界はやめとけ。



近所のヴィレヴァンの跡地には、
まだテナントが入ってない。
魂の入ってない仏を見るようである。
posted by おおおかとしひこ at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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