表現は常に誤解される。
そのことを、まず表現者は覚悟せよ。
こちらには誤解だが、あちらには先入観だ。
そして誤解のない100to100のコミュニケーションは存在しない。
そのことをまず覚悟した方がいい。
だから、一番大事なところだけを守るべきだ。
逆に、その他はあきらめるべきだ。
大事じゃないところは、誤解されてもしょうがないと思うのだ。
さて、誤解の興味深い例をネットで拾ったので。
カルビーのキャラも、クロネコヤマトも、
僕にはタスキに見えてたし、
子猫を咥えて運ぶ親猫に見えていた。
なのに、
こんな解釈をする人がいるということに、
驚いたわけ。
「一旦そう見えたらずっとそう見える」
のは錯覚の特徴でもある。
誤解を解くのは、先入観の植え付けよりも、
ずっとエネルギーがいる。
だから、誤解は解けない。
解く方が大変だからだ。
だから、誤解は放置して良い。
誤解されたまま生きることだ。
だけど、
たったひとつだけ、大事なことは誤解されないように、
たとえ誤解されても時間をかけて解くことだ。
そのひとつだけは、あなたの大事なことだ。
それを、テーマという。
テーマだけは死守せよ。
その他は誤解をはびこらせることに同意せよ。
そんなことをそんな風に思うのか、
という例は、人が増えれば増えるほど増える。
2024年01月21日
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