僕の経験で言えば、
「より合理的ならばそれを覚える。
不合理な前のやつは消去され、上書きされる」
感覚だ。
配列の記憶は、
年号丸暗記のような、
宣言的記憶(一対一の記憶テーブルを埋めていく作業)
ではない。
だからたくさんの配列を覚え直すという行為は、
配列×nの記憶を保持することではない。
前のは忘れるし、
今のに大体上書きされてしまう。
(保持できる容量は人によるが、
僕はカナひとつ、英字ひとつだな。
でも漢直1000字行ける人もいるしなあ)
で、
色々やるとわかるんだけど、
「合理的な運指が、非合理の運指を上書きする」
傾向にある。
ショートカットの獣道がよければ、
そっちに短絡される感覚。
おもしろいのは、
「新版で合理的になった分、
煽りを受けて非合理になった部分」があるとして、
その非合理部分を打とうとして、
以前の版の合理的なほうを打ってしまうミスがあることだ。
これは特に急いでるとき、
意識が打鍵ではなく内容に100%集中してるときに起こりやすい。
たとえば僕は今「みて」と「めて」を、
SEかBEかで迷っていて、ちょいちょい交換するんだけど、
どっちも打ちやすいSEで取ってしまうことが、
とても良くあるわけ。
しかもこの運動記憶は合理的であるほど失われにくく、
何年も前のバージョンの運指が亡霊のように出てくることも、
一ヶ月に二回くらいあるな。
そうだよなー、今この言葉を打つと結構ややこしいが、
ずっと前のこの版では打ちやすかったわー、
なんてこともある。
ざっくりいえば、
体の記憶(手続き記憶)は、
合理な方を記憶する。
動線は短い方が優先され、神経的短絡はつづく。
武術の達人の動きは、
あらゆる動作をコンパクトに短絡した結果なんだろう。
「前の方が便利だったのに」という不満は、
だから人間的に根源的であるわけ。
改悪すると、予想よりそれを使う廃れが早いと思うよ。
逆に廃れさせたかったら、
一個ステップを挟めば効果的だ。
最近だと、近くのファーストキッチンの注文装置で、
「ほかにこれもいかがですか? 追加/このまま注文」
の1ステップが増えたんだよね。
コーヒー一杯欲しい時に、チキンとかサラダとかいらんわ。
このイラッのせいで、少しファーストキッチンから、
遠ざかってるな。
最小動線優先、ともいえる、
身体の記憶は大変興味深い。
めんどくさいことでもそれをやるときは、
理由がある時だ。
デートや子育ては最小動線ではできないが、
愛情という理由があれば、それを厭わなくなるわけだね。
というわけで、
配列変更は、
それが合理的なときだけ記憶できる。
しばらく打ってみて、
ああこの変更はよかった、
この変更はよくなかったと、
評価をし続ける必要があるのだ。
でもそれは、身体の感じる違和感だけが頼りなんだよなあ。
複数の既存配列を触ると、
両方のいいところだけを抽出して混ざることはよくある。
うーん、それじゃあ矛盾するよう、
ってなるね。
それらを乗り越えて、
「ひとつの秩序ができた」
というのが配列だと考えられる。
局所最適解のひとつとして。
2024年01月21日
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