2024年01月21日

人にものを教えるということ

興味深い例があったので引用する。
https://x.com/penguin2716/status/1748629300620792048?s=20

氷山の一角(結果)だけを教えても、
僕は教えたことにならないと思い、
僕はここを書いてるようなものだね。


教えられる側に立てば、
「苦労せずに秘密だけ知りたい」とか、
「ゴタクはいいから結果だけ見せろ」とか、
思ってるかも知れない。
それはメアリースーなんだよね。
苦労せずして果実を得たいのが、
人間の業なのかもしれない。

だけど教訓や学びというのは、
試行錯誤からしか得られない。

Aでうまく行った、という判断には、
Bではうまく行かなかった、
AとBの間ではギリギリアウトだった、
CやDでは全然話にならなかった、
などのような、
「成功と失敗の境界線」があるからだ。

それを体験してはじめて、
「Aしか正解はあり得ない」
という確信を得るんだよね。

だから、
「他にバリエーションはありえるか?」
を全部潰さないと、
Aが最高だとは思えないはず。
原理的に無限に時間を使えないが、
ある程度それをやってくると、
「まあこのへんだな」
と切り上げるタイミングもわかってくる。
己を知るようになってくる。

ついでに、
「今限界ギリギリまで鼻血を出しながらやるべきか、
ここは適当に切り上げて温存するか」
もわかるようになってくる。

それは、氷山の下の方からわかるわけ。


Aという答えだけを伝えるのは簡単だよ。
それをチートアイテムのように集めることも簡単だ。

だから、
Twitterやら情報商材には、
人生の真理をついたような格言がたくさんある。
それで人を釣れるからだ。
それだけ世の中にはメアリースーが多いのさ。

僕はAを教えてもらったら、
「なぜそう思ったのかその経緯を聞きたい」
ということにしている。
あるいは、
「その結論を出すにはどこを調べて、
何を理解しておけばいいですか?」とも聞く。

つまりは、
「自分でAという結論に至るまでのシミュレーションをしたい」
と思うわけ。

擬似体験をしないと、
Aは身につかないからね。


教える側にも実力がいる。
Aを暗記した人からは、
なぜAかを説明できる方法が出てこない。
そんな人からしたら、
「結論だけ覚えとけよめんどくせえ生徒」になるだろう。
弊社の社内システムはことごとく糞なのだが、
分からないたびに説明担当者に聞き込むので、
めんどくせえやつと思われてるのだろう。

IT担当とは仲が良い。
原理から演繹できるからだ。
経理とは仲が悪い。
税法を原理から説明できない人が多く、
こことここにチェックを入れてくださいと、
結論Aだけ守ってれば良いとする人しかいない。


数学を学ぶコツは、
その公式の証明を自力でできるようになること。
Aに至る氷山ごと学ぶのだね。



というわけで、
ここの脚本論は話が長い。
そして、読んでるだけで脚本が書けるようには、
決してならない。
posted by おおおかとしひこ at 17:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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