Claw44を手に入れて考察した人の話が興味深い。
この人はかつてコルネを組み立て、
あまりにも良すぎて何もしてなかったが、
久しぶりに気分を変えたくなりClaw44をつくったそうだ。
http://kinnan.blog69.fc2.com/blog-entry-840.html
めちゃくちゃ長いので、要点をふたつ。
・書きやすいキーボードはつい長文になる
・たった一つの姿勢しかエルゴノミクスにならず、
ピンポイントすぎる(が、その姿勢はとてもよい)
全く別の話なので、後者をメインに議論したい。
前者の話を少しだけ触れると、
書きやすい論理配列を使っても同じことが起こる。
薙刀式で書く文章は書きやすく、
ついつい脳と直結してるので、
思ったことをなんでも書きがち。
これでわかることは、
「そもそも脳内は整理などされてなくて、
書くことによって思考が整備される」
ということである。
そもそもはっきりとした、連綿とした思考など存在しない、
というのがわかったことだ。
だから思考とは書くことによって出現するものなのだ。
観測してはじめて収束するのだ。
だから、
発散的な文章をざーっと殴り書き、
その後「ととのえる」作業をやるべきだ。
そこにデジタルの編集機能が役に立つと考える。
当然のことだが、薙刀式の編集モードは、
その二段階目で役にたつ。
さて、後者の話。
僕のエルゴノミクスに関する知見は、
すでにこの人のいるところを2000年前に通過したッッッ
(刃牙のパロディです)
「エルゴノミクスは『理想の姿勢=エネルギー最小』に、
たどり着いたとして、
その姿勢を強制しつづけると、
それで疲れるのでは?
適宜寝返りの打てる遊びがあり、
それら全体をエルゴノミクスするべきでは?
つまり最適解とは点ではなく、線、面、体であるべきでは?」
というのが、僕の現在地である。
それを実現しているふたつのものが、
・ドームキーキャップ(自作3Dプリント)
・キーボード空中庭園バビロン(自作3Dプリント+板)
である。
ドームキーキャップは、
それぞれはコンベックス(凸)スタイルで、
指先を突き刺すように打つのではなく、
指の腹で撫でる方式で、
なおかつ全体が大きな球の一部になっているものだ。
人間の手は丸いものを掴むようにできている。
それを最小運動と考えるわけ。
丸いものをナデナデしているうちに文字が出来上がるのだ。
これのなにが寝返りかというと、
「キーの同じところを打たなくて良い」というところに利点がある。
凹型(コンケイブ)の普通のキーキャップだと、
その真ん中一点以外は打鍵を許されない。
しかし運指の都合で、指の位置は刻々とかわる。
どこを打っても滑らせても打鍵できるほうが、
自由度が高くない?というわけ。
僕がかつて設計していた3D形状のキーキャップ、
サドルキーキャップはひとつの3Dキーボードの到達点だけど、
それが、
「同じ姿勢を強制させられるしんどさ」
に気づいた時、
「もっと打鍵軌跡は幅を持ち、
自由であるべき」だと考えたんだよね。
点にしか対応してないなら、
「特定のその筋だけ疲れる」だろう。
線、面、体になり、
負荷は分散されるべきだと。
これをさらに打鍵姿勢まで拡張したのがバビロンだ。
前腕を水平な位置に保ち、
手首、肘、肩を最小負荷にしつつ、
膝上にも空間があるため、
「足を組んだり腰を前後にずらして姿勢的寝返りを打てる」
ことが特徴。
手首を置ける広さがあるため、
手首をつけ続けて打てるし、
気分で手首を浮かせてもいい。
あるいはそもそも左右分割キーボードなので、
時々左右間を広げたり、角度を変えて、
姿勢的寝返りを打てば良い。
こんな風にして、
「たった一つの姿勢に落ち着くことなく、
つまり居着きをなくし、
軟体動物のように打鍵する」
ことを目的としている。
エルゴノミクスは、武術でいうところの居着きだ。
厳密だが、硬いのだ。
しかし武術の理想はこれではない。
彫刻のようになることではなく、
猫のようになることである。
硬い大木は折れる。柳はしなり、変形する。
猫は液体だともいう。
つねに同じ姿勢でいないこと。
こうすることで、
時間積分したときに、
旧エルゴノミクスは0(変分が0なので)が理想だが、
新エルゴノミクスはたくさん(たくさん動くので)
を理想とするわけ。
つまり、旧エルゴノミクスは床ずれするよ!
ということを言いたいわけだ。
もちろん床ずれは姿勢的なことだけど、
打鍵でいえば、
指や手首や肘や肩の、
特定の筋だけを使いすぎて、
そこをピンポイントで痛めるぜ、
ということなのだ。
我々は機械ではない。
どんな関節や筋肉を動かしても、
疲労物質がたまる。
それを適度に流していくべきだ、
なぜなら我々自身は液体なのだから、
という考えだね。
それに、
自由に撫でられる球の形のキーキャップ、
高すぎず低すぎずの位置に広い空間をキープして、
身体を自由に使える打鍵広場、
で応えているわけだ。
Claw44は名作キーボードだ。
だがしかし、
その先へ、最先端の自作キーボードは進んでいる。
この人は僕ほど大量に書くことはないだろうが、
僕はそんなことを現在考えている。
2024年01月22日
この記事へのトラックバック
自分の思想で考えたとき最も効率的なキーの形はKinesisのお椀型キーだと思っています。
しかしKinesisは無駄なキーが多すぎて、アルファベット以外のキーの入力ではかえって非効率だとも思っています。
Kinesisのような形をしていてよりキー数が少なくレイヤーでホームポジションから移動せずにすべての文字が入力できること、左右分離式であること。すなわちDactylが理想だと思っています。
しかしDactylの導入はあまりにハードルが高いです。物書きを生業にしているわけでもなく、元よりそれほど徹底してこだわるつもりもその必要性も現状感じていない自分はこれくらいが良いところだろうとClaw44で手を打ったといったところです。
しかし記事で紹介されているキーボードは自分のエルゴノミクス概念からは全く違うアプローチで目から鱗でした。
「最良のポジションから動かないことがエルゴノミクス的にはベストではない」という思想は、自分のもうひとつの趣味である自転車で考えると分かる気がします。
現代のロードバイクはハンドルから手を全く移動させずに変速できますが、昔の自転車はダウンチューブに変速レバーがついていていちいち屈まないと変速が出来ませんでした。
自分は現在そういう昔ながらの自転車に乗っていますが、変速操作がある種のストレッチになって、長時間の乗車で筋肉が硬直してしまうのを防ぐ効果を生んでいるように感じます。
キネシスもDactylも自作キーボードイベントで何度も触りましたが、
結局納得が行かなかったんですよね。
それはお椀型は、「指の先で打鍵する、突き下ろスタイル」
しか想定してないからだと理解してます。
僕は「指の腹で撫でるように打つ」ので、
そのためには凹じゃなくて凸なんだよなー、
などと考えています。
で、仮に指先打鍵だとしても、
Dactylは「窮屈」だと感じたんですよね。
同じ姿勢のまま打たないといけない感じ。
むしろ拷問椅子みたいになってるぞと。
エネルギー最小解が、
必ずしも最高の解とは限らないぞ、
ということを理解したのはこの頃です。
自転車は専門外なんですが、
きっとペダルを同じ足の位置で漕ぎ続けると疲れるんじゃないでしょうか。
座り位置や踏み位置を微妙に変えながらのほうが、
疲れないのではと想像します。
もちろんスプリントの時はベスト位置がいいのかもだけど、
長ーい走りだと潰れちゃうと思われます。