ラブストーリーをメインプロットでもサブプロットでも持ち込む場合、
どこで二人の関係が進展したかを描くことは、
全体の計画のひとつになる。
ラストでキスして抱き合って終わり、
というのはよくある映画のパターンだ。
最初にキスして始まってもいいよね。
どこか途中でキスして急に進展してもよい。
ラストでキスするのはお約束だが、
それに限らず、
「どこでキスするか?」を計画の一部に持ち込んで、
考えるべきだぞ、
ということをいおうとしている。
つまりそれは、
ラブストーリーのどの部分が、
本編のサブプロットとしてふさわしいか、
ということでもあるわけ。
関係ない二人が、恋人同士になり、
付き合って、結婚するか分かれる、
という一連の人生の流れにおいて、
「どの部分を切り取るか」ということを、
考えておくべきだ、ということだ。
もちろん、結婚したあともラブストーリーはつづく。
ラブラブであり続ける夫婦は少ないかもしれないが、
夫婦の危機を乗り越えて、
さらなる愛へつづくストーリーだってあり得るわけだしね。
たいていは、
初々しい出会いから、
じれったいくらいの距離の縮めあいを経て、
気持ちを確かめ合って、
手をつないだりキスをしたりするところをピークに持ってくるだろう。
それが一番スタンダードなのは、
ラブストーリーがメインでないからだ。
何か別のメインストーリーがあり、
ラブストーリーがサブプロットであるときに、
これくらいがちょうどいい進展具合だ、
という選ばれ方をするわけ。
キスと書いたが、
別にセックスを基準にしてもいいよ。
ストーリーのどの段階でやってしまうかは、
わりと大事な問題だと思う。
一幕か、二幕前半か、二幕後半か、三幕かで、
メインプロットの進行具合と絡めて、
どういう気分になるかが、問題になると思う。
全体を設計するときに、
どこでラブストーリーのターニングポイントになるかを考えるときに、
キスないしセックスは、
ひとつのでかいターニングポイントになる。
ということは、
決めた場所で自然にそうなるように、
その前やあとの計画まで考えるべき、
ということだ。
そこでキスすることに、
十分な理由があり、感情移入できて、
しかも自然で、盛り上がらなければならない。
それが下手だと、
ご都合主義のキスやセックスに見えて、
「メインプロットに無理やりラブ要素を盛り込んだだけ」
みたいに見えてしまうに違いない。
それが面白いか、といわれると、
余計な要素に見えるので削ろうぜ、となるかもしれない。
機能していないサブプロットは削ってよい。
全体に対して邪魔だからだ。
「アクションを見に来たのに、余計なラブ要素を見せられた」
という感覚はよくあるものだが、
それはラブ要素がご都合で、本気で描けていなかったからだろう。
そういう場合は、
キスないしセックスはラストに持ってくるとよい。
そうでない場合、
本気でラブストーリーが重要なストーリーの一部になるならば、
キスやセックスをどこか中盤に持ってくるだけで、
雰囲気は変わるだろう。
もっとも、ラブストーリーが下手な人もいる。
そういう人はラストにキスするだけの情感をつくるだけでせいいっぱいだと思うよ。
全体を見渡そう。
どこでこのカップルはキスをする?
場所の問題ではなく、プロットのどこで、という時間をさしている。
前半か、後半か、ラストか、中盤か。
それによって、ラブの計画が変って来るよね。
それによって、メインプロットの計画も変わってくるかもしれない。
それが、プロット(=計画)を練る、ということだ。
2024年03月20日
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