2024年01月31日

オリジナル脚本が書けないシステムの闇

なんで原作つきばかりやって、
オリジナルで勝負しないの?
小説も漫画もオリジナルじゃんか。

なんでドラマや映画だけが「実写化」ばかりやって、
オリジナルをやらないの?
オリジナルを書けばいいじゃん。

そう思うのは当然だ。僕もそう思う。

ところが、映像作品というのは、
漫画や小説に対してコストがべらぼうに違う。
ここに「原作つきビジネス」の闇がある。


もちろん、
かつては映画やドラマもオリジナルからヒットを飛ばしていた。
だけどそれはどうなるかわからない、
ある種の博打のようなものだ。

小説や漫画だと、
制作コストはどれくらいだろう?
一冊に何万?何十万?100万くらいはかかる?
1000万はかからないかもね。

だけど、映画一本は1〜3億だ。
でかい映画なら10億前後。
低予算低予算といわれたドラマ風魔でも1話1000万。
1クール1.3億。
大河ドラマは一話6000万、一年で×52として31.2億。
これだけのコストがかかる。

ちなみにCMは15秒で3000万前後が相場だったが、
最近値崩れして1000万前後。


オリジナル脚本で博打をやるとき、
これをヒットさせて回収し続けなければ、
会社として存続できない。

僕は会社経営のことはわからないが、
これだけの資金を内部留保金で賄えないっぽい。
だから銀行から借りる。

商売をやったことがないから知らないが、
1億の融資って簡単にできる?
たぶん出来なさそう。

ということで、
スポンサーを集めることになる。
スポンサーというのは映画ドラマ専門ではなく、
車やビールや洗剤や保険を売る、ふつうの企業だ。
音楽事務所や芸能事務所など、近しい企業もありえる。

これらが複合体として「製作委員会」を組む。
これで1億以上の資金をあつめる。
あつめる代わりに、彼らは口を出せるわけ。

プロデューサーは、この意見調整をし続けることになる。
僕は全員が円卓に座って会議すればいいと思うんだけど、
なぜか日本の会議は会議室の外でネゴされ、
個別に行われて円卓会議は行われない。
会議室は折衝の場ではなく、ネゴが終わった確認の場にしかならない。
だから決定事項読み上げ儀式にすぎなくなる。

つまりプロデューサーとは、
会議室でないところで、ネゴをし続ける人になるわけだ。


このとき、
オリジナル脚本だと、まあズタズタになるわけだよ。
作家の言い分を素人が切り刻み、
しかも直接円卓を囲めず、各個の意見だけが単独でやってくるからね。
Aを聞いたあとにそれに矛盾したBがやってくるのがふつうだ。

これを封じられるのが、
「原作ものをやります」なんだよね。
そうすると銀行も貸しやすい。
どこの馬の骨かわからない脚本に1億融資するより、
人気原作で担保された1億の方が価値があるとするわけ。

だから、
人気原作を探して、先に契約しにいく合戦をして、
あとは会議室でないところでネゴするのが、
プロデューサーの「メインの」仕事になるわけ。

なにもかも間違ってると思うけれど、
それがお金を回す方法、
融資を受けて、つくり、上映して、回収する方法として、
一旦そのラインができたら、
それを維持するのが仕事になるわけ。


こうして、
「オリジナル企画を立ち上げたことのないプロデューサー」
が、多数生まれることになる。

オリジナル脚本は、脚本家一人で書くものではない。
小説家と編集者、
漫画家(+アシスタント)と編集者のように、
脚本家+プロデューサーの、コンビでやるものだ。
当然プロデューサーには、
読解力や構成力やアドバイス力などの、
編集者能力が要求される。
おそらくそれは大学卒業後時点で身につけているものではなく、
先輩について日々それらを学び、徐々に出来るようになる能力だろう。

かつてのオリジナル脚本がほとんどだった映画業界では、
この能力がないプロデューサーは役に立たなかったろうから、
出来ない人はオリジナル企画を立ち上げられなかったはずだ。

ところが、
「原作を買ってきて、それを雪だるまの芯にすれば、
ビジネスは回る」ことがわかってしまい、
そればかりが会社の仕事になると、
この地味でキツいオリジナル企画なんて、
誰もやらなくなるんだよね。

そして、かつてはオリジナル100%だったプロデューサーの仕事が、
仮にオリジナル50%、原作つき50%になったら、
編集者能力は半分しか鍛えられないことになる。

こうして、編集者能力があるプロデューサーは育たず、
各方面調整能力に長けたプロデューサーが出来上がる。
そしてそもそも編集者能力とは、
「脚本を自在に書ける能力」でもあるから、
それが育ってないってことは、
製作委員会に意見されてもその場で切り返せずに、
全部鵜呑みで脚本家に丸投げするってことになる。



さて。

僕が今まで付き合ってきたプロデューサーで、
この編集者能力を持った人は一人しかいなかった。
でも彼はあまり日の当たらないところにいて、
今日もオリジナル企画をやろうとしている。

他のプロデューサーたちは、調整型だったな。
なにせ「好きな原作はありますか?」から話題が入るわけでね。
こりゃダメだと内心思って会話をしていたよ。
とりあえず「北斗の拳」って言っといたけど。


原作つきは、つまりは麻薬なんだね。
オリジナルで頑張ろうとする人たちに対して、
こっちの方が楽だよーとなる薬。
知らないうちに蔓延していて、
新しく入った新人にはそれが当たり前になっている。

だから、オリジナル企画を立ち上げたことのないプロデューサーが、
30歳を超えて当たり前になってゆく。
編集者能力を一切持たないままね。


さあ、
こうなったときに、
オリジナル脚本を書こうとする脚本家は、
居場所がなくなってしまう。
やれないんだから。働く場所がないんだから。
編集者とガンガンやってもないから、
能力自体も鍛えられてないわけ。

(たとえばオリジナル脚本の公募賞、城戸賞の今年のグランプリ、
「捨夏」は公開されてるので読んでみたまえ。
酷いことに関する分析は別記事ですでにやった)

で。

「原作つきの脚本を書く」場が、
メインの仕事場に、事実上なっている。

そしたら、
「原作改変してでも俺の才能を見せたい」
と考える奴が出るのは当然だよな。
他人の褌で相撲を取ってばかりじゃ嫌だもんね。


何が悪いのか僕にはわからない。
個人ではなく、システム全体の問題であろう。

映画会社の経営方針として、
たとえば年間100本作るとしたら、
50本オリジナル、50本原作つきと決めて、
プロデューサーたちをジョブローテーションして、
経験を積ませて、彼らがやりたい方へ就かせるのがいいと思う。

また、
「いきなり新人脚本家に数億制作費を任せるのは危険だから、
まずは成功するだろう原作つきをやらせて、
腕を見た上で実績を積ませよう」
という不文律もある。

リスクを考えれば妥当かもしれないが、
起こっていることは、
自分を出そうとする脚本家と、それを潰すプロデューサーのバトルで、
「じゃあ俺は何なんすか」と才能がつぶれていく新人が続出して、
仮に実績を出したとしても、
「それで成功したからまた原作つきで」というループにすぎず、
地獄しかないんだよね。


ドラマ風魔をやり、
映画いけちゃんをやった僕に、
某プロデューサーがやる?と声をかけたのは、
「人造人間キカイダーのリブート」だった。
僕はオリジナルがやりたいので、と断ったし、
そもそも21世紀の悪と良心回路の物語は、
とても難しいと考えて断った。
(それが「キカイダーREBOOT」として公開された。
未見なので評価はおいておく)

そして一回断ると、次が来ないのがこの業界だ。
だから僕は今オリジナルをコツコツ書く世界にいる。
ドラマ風魔のプロダクションは、「東京島」で倒産したしね。



さて。

オリジナル脚本を書きたい脚本家、監督は、
どうしたらええんやろね?
その場はない。

とりあえず僕は次の城戸賞は出す。
今のところ、たくさん賞のある小説業界とちがい、脚本の賞はこれしかない。



オリジナル脚本は、だから軽視されてたり、
難しいものとして敬遠されている。

それが今の現実だ。

僕はそれを変えたくて、
脚本とはどのように書かれているかを、
示しているつもりだ。



なお、じゃあなぜハリウッドはいまだにオリジナル脚本を輩出し続けるの?
って疑問が出るよね。

ハリウッドはオリジナル脚本を書いた人は、
「ブラックリスト」という図書館に登録するんだよね。
(今は物理図書館じゃなくてクラウドだろうな)
そしてプロデューサーや資格のある人は、
それを日々読んで、いいものを見つけたら買い取れる仕組みになっている。
マーケットがあるわけだ。
しかも、なろう小説でいうところのスコッパー(発掘者)がいて、
彼らは「リーダーreader」と呼ばれている。

リーダーは毎日大量の蔵書を読み、
評価を下すわけ。

「氷の微笑」の史上最高脚本料も、
リーダーたちが「これはいい」と点数をつけたから跳ね上がったんよね。

また、
ハリウッドの場合、
買い取ったあと、それが映画化しなくても、
手付金だけで食える仕組みになっている。
年間2本くらい買い取られればそれだけで会社員レベルらしい。
ということで、
脚本家は書き続けられる仕組みが整っているわけ。
それも膨大な資金が動くハリウッドならではだね。

それを真似してつくられた、
「green light」が発足し、僕も登録したが、
去年なんの予告もなくサイトが消滅したのは、
ここに記しておこう。
月額2000円登録料をサブスクしてたから、
完全にサブスク詐欺だったんじゃねえかと思うね。


日本の商習慣として、
手付金はない。0円だ。
その代わり映画化したら、最低賃金300万。
(ドラマはいくらか忘れたが、尺によって変わるだろう)

割に合わない。

ここから這い上がる方法もなさそうだ。
漫画家の場合アシスタントとしてはたらく仕組みがあるが、
脚本家アシスタントなんていねえし。


この、環境の差が、
オリジナル脚本を書きたくても書けない、
現状につながっている。



僕はそれを変えたくて、
ここの脚本論を書いている。
若者よオリジナル脚本を書け。
めちゃくちゃ面白くて、感動する脚本を書け。
おれもやるので、
業界を少しずつ変えていこう。

そして、
原作つきにしか投資しない人も、
「脚本とはこういうものだ」
「脚本のどこを読めばいいか」というのを、
わかって欲しいんよね。




おそらく、「セクシー田中さん」の、
プロデューサーと脚本家は、
編集者能力もなく、スポンサーとの調整しかしてなかったのだろう。
だから原作なんていくら書き換えてもいいのだ、
と思ってたのだろう。
最初に原作者がなるべく変えないでと言ってたが、
「なるべく」を最小努力と解釈して、
最大努力をしなかったのだろう。
そして、なんならうるせえ原作者だなと思い、
揉めたなーめんどくさかったなー、次、次、
と思ってたに違いない。
それは、原作者自殺直後の日テレの文面にも表れている。

私たちは悪くないですと自己弁護に走る、その気持ち悪さよ。
消されたら困るので貼っとくか。

> 芦原妃名子さんの計報に接し、
哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。
2023年10月期の日曜ドラマ「セクシー田中さん」につきまして
日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら
脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。
本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております。


原作代理人小学館にケツモチさせてる匂いだね。
そしてOK出たんだからOKだろという開き直りがみえる。

僕は原作もドラマも見ていないため、
内容の話はできないが、
まともに仕事をしようと思えば、
「原作の○○要素は○○の理由で○○なため、
ドラマでは○○のように改変した」と、
すべての議論を「プロデューサーが」できるはずだ。

それがなかったのは、
プロデューサーに編集者能力がないことの証明であろう。
posted by おおおかとしひこ at 11:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めましてこんにちは!コメント失礼いたします。
原作改変はなぜ行われるのか検索をしていてブログを拝見しました。脚本家さんの事情から『「原作改変してでも俺の才能を見せたい」と考える奴が出るのは当然だよな。』のお話しがわかりやすかったです。

ネットを検索すると脚本家だけで無くプロデューサー・監督・制作会社も原作改変してヒットすればオリジナリティを加味した者の手柄、ヒットしなければ原作のせいとできるという論を読んだのですが、この点について教えていただけませんか?
放送業界全体では原作改変すればした者の実績となるのでしょうか?
 
ご多忙中に申し訳ありませんが教えていただけましたら幸甚です。もし宜しければ是非!どうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 三上ともよ at 2024年05月24日 18:31
>三上ともよさん

放送業界全体の空気感はわかりません。局によって空気が違うので。

ただし、原作と改変後のものをわざわざ比較して議論する人なんていないので(よほどのファンだけ)、
自己満足レベルにしかなってないと思います。

ただし、
原作を遵守しようとしない人々(スポンサーの都合、芸能事務所の都合、興行上の都合(他に似た企画がある/何かのイベントに合わせて変える都合など)、予算の都合、スケジュールの都合、自分の才能アピールしたい権力を握った人々)
の都合にあわせて「上手に改変した」という脚本家は重宝されます。
「都合を聞いてくれた」と言う風に。
そこに「脚本として良かったか、作品として良かったか」
という評価がないのは事実です。
都合を聞いたか(いい人)ガンと跳ねたか(気難しい人)、
しかないですね。

「あの人は気難しいがいいホンを書く」
という内容評価がかつてはあったのかもですが、
今はその空気をあまり感じない気がします。
だから、
「あの人はなんでも言うことを聞いて、
うまくまとめてくれる」人が重宝されやすいです。
それは作品性ではなく、レイプ上等を受け入れるかどうかでしかないですね。

僕の触れた狭い世界での空気感はそんな感じ。
僕は作品性を守るために長い議論をするので嫌われたのでしょう。
作品性とは何か、どのように改変してよくするのか、
に関しては、
脚本添削スペシャルで講座としてやっていますので、トップ記事「このブログについて」から辿ってください。
これが「難しい」と感じるプロデューサーは、
原作や脚本家と真摯に付き合えないと思います。
Posted by おおおかとしひこ at 2024年05月25日 05:10
制作現場からのお声を聞かせていただけるのはとても貴重と感じました。
早々にご返信下さいましてありがとうございました!!
Posted by 三上ともよ at 2024年05月25日 07:03
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