2024年03月28日

ゴールイメージを明確にすること

まああたりまえなんだけど、
なかなかできないこと。

長期的にやるプロジェクトでは、
ゴールが明確になっていないと進めなくなる。
今日やってすぐに出来ることはゴールイメージはまあ適当でもなんとかなるが、
一か月や数か月、構想からしたら何年もかかる脚本というものには、
明確なゴールイメージがないと、
ぐらついてしまうものだ。

「悪の帝王を倒し、平和を取り戻す」
という抽象的なゴールだとゴールイメージではない。
「悪の帝王が剣に心臓を貫かれ、
後悔の言葉を『〇〇〇』と吐きながら、
崖下に落下する」
くらいには、具体的にイメージしておこう。
つまり、
もはやゴール部分の脚本を書いている、
といっても過言ではない。

もちろん、
実際の原稿をその通りに書くかどうかは、
マストではない。
たいてい、それよりもいいゴールを思いついているからだ。
なので、
そこへ向かうための仮ゴールだと思うとよい。
しかし「仮だから適当にする」ではだめで、
そこへ向かう覚悟で進めるべきだ。

さて。
そうすると、書く前に自問自答できる。
「これはこれから労力を割いてやるべきほどの、
価値のあるストーリーか?」をだ。

そもそもそのゴールにカタルシスや満足感がないならば、
そのストーリー全体が面白くない可能性がある。
あるいは、
そのゴールによって、
どういうテーマが定着するのかを考えることができる。
それで定着するテーマがしょうもないものならば、
やはりそのストーリー全体に価値がないことがチェックできるわけ。

もしその具体的なゴールイメージの時点で、
落ちを先にわかった時点で、
つまらないとか、
価値がなさそうと分かったら、
その企画は捨てたほうがいい。

もちろん、全然違うゴールイメージにリライトして、
新しい面白い話に作り直してもよい。

たいていはゴールイメージが定まっていないところから起こる。
迷いはそこから生まれる。
「これはこのようなゴールに至る話だから」と、
冷静に考えれば、
それは必要なのか、それとも不必要なのかを判断できるはずだ。
その灯台代わりに、
ゴールイメージは必要だ。


どんでん返しをするならば、
それ前提で動かなければならない。
落ちを言うならば、前振りが必要だ。
成長を見せたいなら、マイナスの状況が必要だ。
そうしたゴールへどこからスタートするのか、
あるいは、
そうしたスタートから始まって、
どういう道のりを進むのか、
という創作には、
常に終着点のイメージに向かうことが必要なのだ。


もしあなたの書いている話が行き詰っていて、
あるいは変更したいがどうしたらいいかわからなかったら、
ゴールイメージを正確に、具体的に、
なんなら脚本形式で、
書いてしまうとよい。

そのゴールでいいかどうかを検討できるし、
それがヨシとなれば、
そこへ至る逆算が可能になるだろう。


それはもちろん、
自分の中だけでもそうだし、
あるいは他人との共同作業でも同じだ。
このゴールだからこうするんだ、
という議論が出来るだろう。
それで暗礁に乗り上げたら、
「このゴールでいいんだっけ」という話し合いがもたれるだろうね。

付き合い始めた二人が、
二人のゴールイメージが異なることで、
分かれることはよくあることだ。
それじゃあ共同作業にならないよね。

もちろん、一人で書く場合も同じだ。
今の俺と未来の俺が共同作業するわけだから。


ゴールイメージは、
具体的であればあるほどよい。
ラストシーンである必要はない。
ストーリーが「解決した」という場面がよいだろう。
そのカタルシスに向けて、
クライマックスはどうあるべきか、
あるいはそれまでの展開はどうあるべきか、
逆転の前のもっとも暗いところはどうあるべきか、
そもそもどこから本格的な話に入るのか、
その前提はどうあるべきか、
などなど、逆算でものごとを考えられる。

仕事とは逆算のことである。
つまり、ゴールイメージは仕事をしやすくするための道具である。


たとえばロッキーのゴールイメージはどこだ?
観客のロッキーコールを得て、
勝者などどうでもよくなったところだ。
そのあとの「エイドリアーン!」は、
最初に決まっていなかったかもしれない。
しかし、
「試合の勝者ではないが、
観客が応援する勝者となった」
というのがロッキーのゴールイメージだよね。
これが、
「辛くも逆転してタイトルを得る。
努力は実を結んだのだ」
というゴールイメージが最初にあったら、
まったく違った展開になっていただろうね。
もっと勝つための説得力があるものが必要になっただろうし、
エイドリアーンは不要かもしれないよね。
(ラストのエイドリアーンと叫ぶ場面は、
中盤にテレビのインタビューで「エイドリアン見てるか?」
と素人丸出しのことをやって、
恥をかいたことの帰結だ。
この人間臭さが、試合には負けたが観客の心をつかんだ、
というゴールに不可欠なわけ)

ゴールイメージを正確に。詳細に。
具体的に。
それがそのストーリーの結末だ。
そして、あなたがやりたかったことのはずだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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